定家仮名遣
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定家仮名遣(ていか かなづかい、14世紀 - 19世紀)とは、南北朝、室町時代の僧、行阿によって確立された、江戸時代まで使われていた仮名づかいのこと。藤原定家が考案したとされる仮名づかい規則をもとにしていることからその名がつけられた。行阿仮名遣と書かれる場合もある。
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[編集] 概要
行阿は、『源氏物語』の校訂本である、河内本を記した源親行の孫である。その著書『仮名文字遣』において、行阿は、祖父である親行が定家に提案し、定家の承認を受けた仮名遣いとしている。
行阿の時代には、発音の変化によって平安時代以前に区別されていた「を・お・ほ」「え・ゑ・へ」「い・ゐ・ひ」「わ・は」「む・う・ふ」が同じ発音となっており、どの仮名を当てるのかという表記法の混乱が発生していた。その用例を規定したものが『仮名文字遣』であり、明治政府が復古仮名遣を制定するまで仮名づかいの規範となっていた。
[編集] 歴史
[編集] 『下官集』の仮名遣い
近年の研究により、十世紀後半から十一世紀にかけて、日本語に次の音韻変化が発生したとされている。
お/o / → を/wo/ 語頭以外の、は行/Φ/→わ行/w/に有声変化 ゐ/wi/ → い/i / ゑ/we/ → え/je/
これにより鎌倉時代には「を・お」「え・ゑ・へ」「い・ゐ・ひ」に発音上の区別がなくなっていた。
藤原定家は定家本で知られるように、数々の優れた写本を行った人物であり、写本での仮名遣いの規則を『下官集』で著したと推定されている。(『下官集』自体には作者名の記述はない。)
『下官集』では、区別がつかなくなった仮名の用例を、”古い時代に成立した”草子本に求めている。ただし、”古い時代の草子本”を研究したものではなく、定家が入手できるものに倣っているため、平安時代以前の用例を正確に記載しているものではないことが確認されている。
また、「を」と「お」の区別を、高音を「を」、低音を「お」というように、アクセントの高低によって使い分けていることも発見されている。定家はこの使い分けによって、意味がとり難くなっていた平安時代の草子本を、わかりやすく写本することに成功している。
[編集] 『仮名文字遣』の仮名遣い
定家は、わかりやすい写本を著すために仮名のつかいわけを行ったが、それをもとにして、音韻変化によって区別がつかなくなってきた「ほ」「わ・は」「む・う・ふ」を加えたものが、行阿の『仮名文字遣』である。
行阿は、弘法大師によって作られたとされる”いろは仮名”47文字を神聖視しており、使い分けるべきと提唱した。その規則に、定家の使い分けを選んだのである。
定家仮名遣はその後、14世紀頃起こった日本語のアクセントの変化により、「を・お」の区別が完全に混乱することになる。高低で区別していたのが、どちらも高いアクセントになったのである。このため典拠を確認しないと使えない仮名遣いとなってしまった。
しかし、弘法大師と藤原定家によって権威づけされた定家仮名遣は、歌人や知識人を中心に広く普及し、明治維新まで使われることになった。
[編集] 参考文献
- 遠藤和夫『定家仮名遣の研究』(笠間書院、2002年) ISBN 4305103435