いろは歌
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いろは歌(いろはうた)は、すべての仮名文字を使って作られている歌で、手習い歌の一つ。七五調四句の今様(いまよう)形式になっている。手習い歌として最も著名なものであり、近代に至るまで長く使われた。そのため、すべての仮名文字を使って作る歌の総称として使われる場合もある。また、そのかなの配列順は「いろは順」として中世~近世の辞書類等に広く利用された。
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[編集] 外形
- いろはにほへと ちりぬるを
- わかよたれそ つねならむ
- うゐのおくやま けふこえて
- あさきゆめみし ゑひもせす(きょう・ん)
- 色は匂へど 散りぬるを
- 我が世誰ぞ(※) 常ならむ
- 有為の奥山 今日越えて
- 浅き夢見じ 酔ひもせず(京・ん)
- ※「そ」は清音で読まれることもある(上代の音韻体系による)。
末尾の「ん」は付けないのが正式である。古くから「いろは仮名47文字」として知られており、近代以降「ん」という仮名が含まれていないことに疑問をもつ人がつけて書く場合があるだけである。
また、「ん」の位置に「京」を加える場合もある(いろは順)。いろはかるたの最後の諺が「京の夢大坂の夢」となっていることからもわかるように、むしろそちらの方が伝統的である。1287年成立の了尊『悉曇輪略図抄』がその最古の例とされる。
[編集] 内容
無常観を歌った極めて仏教的な内容の歌である。新義真言宗の祖である覚鑁(かくばん、1095年7月21日-1144年1月18日)は『密厳諸秘釈(みつごんしょひしゃく)』の中でいろは歌の注釈を記し、いろは歌は世に無常偈(むじょうげ)として知られる『涅槃経』の偈「諸行無常、是生滅法、生滅滅已、寂滅為楽」の意であると説明した。
[編集] 歴史
文献上に最初に見出されるのは1079年成立の『金光明最勝王経音義(こんこうみょうさいしょうおうぎょうおんぎ)』であり、大為爾の歌で知られる970年成立の源為憲『口遊(くちずさみ)』には同じ手習い歌としてあめつちの歌については言及していても、いろは歌のことはまったく触れられていないことから、10世紀末~11世紀中葉に成ったものと思われる。
院政期以来空海作とされてきたが、それが正しい可能性はほとんどない。空海の活躍していた時代に今様形式の歌謡が存在しなかったということもあるが、何より最大の理由は、空海の時代には存在したと考えられている上代特殊仮名遣の「こ」の甲乙の区別はもとより、「あ行のえ(e)」と「や行のえ(je)」の区別もなされていないことである。ただし、破格となっている2行目に「あ行のえ」があった可能性(わがよたれそえ つねならむ)を指摘する説も出されている。
[編集] 暗号説
古い文献では、歌の内容に添った七五調の句切り方ではなく、七文字ごとに区切って書かれていることもある(七文字×六行+五文字)。前述の、文献上の初出である『金光明最勝王経音義』ですでにこの区切り方だった。この書き方で区切りの最後の文字を続けて読むと「とかなくてしす(咎なくて死す)」となる。これをもっていろは歌の作者が埋め込んだ暗号だとする説がある。人形浄瑠璃の仮名手本忠臣蔵は、本来いろは(仮名)47文字が赤穂浪士四十七士にかけられ、「忠臣蔵」は蔵いっぱいの(沢山の)忠臣の意味、または忠臣=内蔵助の意味とされているが、この暗号が広く知られていることを前提として書かれているとする説をとなえる者がいる。
また、同じく五文字目を続けて読むと「ほをつのこめ(本を津の小女)」となる(本を津の己女、大津の小女といった読み方もある)。つまり、「私は無実の罪で殺される。この本を津の妻へ届けてくれ」といった解釈もできる。
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[編集] 鳥啼歌(とりなくうた)
また、明治36年に万朝報という新聞で、新しいいろは歌(国音の歌)が募集された。通常のいろはに、「ん」を含んだ48文字という条件で作成されたものである。一位には、坂本百次郎の以下の歌が選ばれ、「とりな順」として、戦前には「いろは順」とともに広く使用されていた。
- とりなくこゑす ゆめさませ
- みよあけわたる ひんかしを
- そらいろはえて おきつへに
- ほふねむれゐぬ もやのうち
- 鳥啼く声す 夢覚ませ
- 見よ明け渡る 東を
- 空色栄えて 沖つ辺に
- 帆船群れゐぬ 靄の中
[編集] 関連記事
[編集] 地名でのイロハ
[編集] 外部リンク
- いろは歌 - 様々ないろは歌がある