宝とも子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
宝 とも子(たから ともこ、本名:追風 八代子(おいがぜ やえこ)、1921年9月23日 - 2001年8月2日)は、広島県福山市出身のラテン歌手。宝塚音楽歌劇学校卒業。
1934年、13歳で宝塚少女歌劇団声楽専科に入団。オルガ・カラストワに師事してクラシックを学んだ。戦時中は宝塚慰問隊の一員としてハルビンを巡業した。月組スターとして活躍、10年在籍後、1945年宝塚を退団。退団後はNHKラジオ大阪の歌謡歌手として関西を中心に活躍し『ラジオ歌謡』などに出演した他、『宝とも子アワー』などの番組を持った。東京キューバンボーイズのバンマス(バンドマスター)・見砂直照に認められ脚光を浴び1954年2月、日本ビクターより「白樺の雨~星屑のタンゴ」でレコードデビュー。これを機に東京に進出し同年4月『セ・シ・ボン』を発表、「歌い方がセクシー過ぎる」と投書が相次ぎ発禁処分となったが、曲は大ヒットし一躍その名を轟かせた。1955年からNHK紅白歌合戦にも4度出場、ラテンの女王と謳われた。1958年、中南米に渡り修行を積みブラジルなどのテレビやクラブに出演。帰国後1965年、日本ラテン音楽協会を創設、代表としてラテン音楽の普及など多くの功績を残した。