宮城県沖地震
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宮城県沖地震(みやぎけんおきじしん)とは、宮城県東方沖の、海洋プレートと大陸プレートの境界部分を震源とする地震で、過去に何度も繰り返し発生している。その為、「○○年宮城県沖地震」のように発生年を冠して呼ぶこととする。
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[編集] 発生要因
東北地方東方沖では、海洋プレートの太平洋プレートが東北地方などが載る北米プレート(こちらは数説あり、正確なプレート名も定かではない)の下に沈みこんでいる。この両プレート間で両側のプレートから圧縮を受けて歪みが生じ、プレート間に存在する活断層が活動する事によって発生する牡鹿半島沖で起こるマグニチュード(以下M)7.5前後の地震を指す。
これまで25~40年という比較的短い間隔で周期的に発生しており,近い将来再び発生することが予想されている。 地震調査研究推進本部の長期評価によれば2007年1月1日から10年以内での発生確率は60%程度、30年以内では99%とされ,評価対象の中では最も高い確率である。
30年内の発生確率が80-90%とされる三陸沖南部海溝寄り地震と連動した場合、M8.0前後の地震になるといわれる。連動型は前回1793年に起きておりM8.2であった。
[編集] 発生履歴
発生日 | 間隔 (平均37.1年) |
規模 |
---|---|---|
1793年2月17日 | M8.2程度 | |
42.4年 | ||
1835年7月20日 | M7.3程度 | |
26.3年 | ||
1861年10月21日 | M7.4程度 | |
35.3年 | ||
1897年2月20日 | M7.4 | |
39.7年 | ||
1936年11月3日 | M7.4 | |
41.6年 | ||
1978年6月12日 | M7.4 |
[編集] 1936年宮城県沖地震
1936年11月3日の5時45分57秒に発生。震源は宮城県沖北緯38.157度・東経142.37度・深さ61km。規模はマグニチュード(M)7.4。
仙台市宮城野区・石巻市・いわき市(何れも現在の地名)で最大震度5を観測したが、被害は極めて小規模だったと言われている。
[編集] 1978年宮城県沖地震
1978年6月12日の17時14分44秒にマグニチュード7.4の地震が発生した。
詳細は宮城県沖地震 (1978年)を参照のこと。
[編集] (参考)1998年宮城県南部地震
[編集] 2003年宮城県沖地震
詳細は東北地震(三陸南地震)の項参照。
2003年5月26日(月)18時24分発生。
[編集] 2005年宮城県沖地震(宮城県南部地震)
2005年8月16日(火)11時46分25秒にマグニチュード7.2の地震が発生した。最大震度は6弱(宮城県川崎町)。100名が重軽傷を負った。震源は宮城県牡鹿半島沖、北緯38.1度・東経142.4度で、震源の深さは約42km。地震による揺れは、北は北海道、西は徳島までの広い範囲で観測された。志津川町(現南三陸町)で40cmの津波を観測した。
仙台市営地下鉄、東北・秋田・山形新幹線が全線で運行停止。仙台市のスポーツ施設「スポパーク松森」の屋内プールで天井が9割方崩落、20人以上が負傷。また、震度4を観測した埼玉県加須市で民家1棟が全壊した。死者はなかった。
この地震について、政府の地震調査委員会は翌日、想定されていた「宮城県沖地震」ではないという見解を示した。なお、宮城県では「2005年8.16宮城地震」と命名している。
今回、P波(秒速約7km)とS波(秒速約4km)の速度差を利用してP波を捉えた段階で地震情報を送る緊急地震速報システムが作動した。仙台では揺れの来る14秒前、東京大手町では70秒前に情報が流れたとされる。
短い時間であっても避難行動を準備する猶予が得られるため、緊急地震速報システムやその簡易版の普及が望まれている。
NHKは地震発生後すぐに地震関連のニュースに切り替えた。また、民放各局(テレビ東京系を除く)は番組の途中に地震関連のニュースを臨時で放送した。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 特定非営利活動法人リアルタイム地震情報利用協議会(緊急地震速報に関する研究調査や普及活動)