尊皇論
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尊王論(そんのうろん)は、天皇、皇室を日本古来の血統を受け継ぐものとして崇拝する思想。尊王思想。
古代、日本に仏教が伝来し、中世に神仏習合が起こると、記紀神話に基づく皇室権威の絶対化が行われるようになる。
江戸時代には幕府は朱子学を支配原理として採用し、儒教思想が定着した。幕藩体制において朝廷は幕府の制約を受けていたが、権威的秩序、宗教的な頂点の存在として位置づけられた。江戸中期に国学がさかんになり、記紀や国史、神道などの研究が行われ、武士や豪農などの知識層へも広まる。また、天皇陵の修復や、藩祖を皇族に結びつける風潮も起こる。
幕政改革の混乱や、異国船の来航による対外的緊張など政治的混乱が起こると、幕府は秩序維持のため大政委任論に依存して朝廷権威を政治利用し、朝廷の権威が復興する。
幕末には、平田国学や水戸学などナショナリズムとして絶対化され、仏教を排斥する廃仏毀釈としても現れる。幕府が諸外国と条約を結び、鎖国体制を解いて開国を行うと、攘夷論と結合して尊王攘夷(尊攘)となり、幕政批判や討幕運動などへと展開していく素地のひとつとなり、明治以降の国体論や国家神道へも影響する。
また、江戸時代における儒教思想の日本への定着はすなわち、中華思想(華夷思想)の日本への定着を意味し、近代の皇国史観などに影響を与え、日本版中華思想ともいうべきものの下地となった。日本を指して「中国」と呼ぶなどの例は、それを示している。幕末に至って、従来は同じく中国思想であったものが日本化した攘夷論とむすびつき、幕府や幕藩体制を批判する先鋭な政治思想へと展開していく素地の一つとなる。