小川友三
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小川 友三(おがわ ともぞう、1904年4月 - 1968年3月16日)は、日本の政治家。元参議院議員(1期)。
[編集] 経歴
埼玉県出身。1921年、明治薬学専門学校(現明治薬科大学)卒業。
卒業後は、製薬業・古物商・農業などを営む。
戦後、親米博愛勤労党という政治団体を立ち上げ、1947年4月の第1回参議院議員通常選挙に全国区から出馬。地元の埼玉県で多くの票を獲得し当選を果たす。当選後は当初緑風会に所属したが、9月には会を離れ、院内では無所属となった。
1950年4月3日、参議院本会議における予算案の採決にあたり、小川は反対討論を行ったが、実際の採決では賛成票を投じた。この行為に対し、国会内で批判が高まり、任期満了までひと月を残して、4月7日に議員を除名された。参議院史上初の除名であり、現在に至るまで、参議院で除名された議員は小川のみである。
除名から約2ヶ月後の参議院議員選挙に全国区から再び出馬するが、当選ラインには遠く及ばず落選。その後も、衆参両院の選挙に出馬したが、返り咲くことは無かった。