小川正孝
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小川 正孝(おがわ まさたか、1865年2月21日(元治2年1月26日) - 1930年(昭和5年)7月11日)は、日本の化学者。
1908年、新元素を発見してニッポニウム (Nipponium: Np) と命名したと発表した。1919年から1928年まで東北大学の総長をつとめ、在任中に金属材料研究所、工学部の創設などを行った。
松山中学(現在の愛媛県立松山東高等学校)から東京大学に学び、ロンドン大学のラムゼーの研究室に留学した。2年間の留学中トリアナイト(トリウム鉱石)の中に新元素を探す研究を行った。1906年の帰国後も研究を続け、「原子量が約100の43番目の元素」として1908年に発表した。追試で存在を明確な証拠が得られないまま、43番目の元素は1947年にセグレによって重水素核とモリブデンの衝突実験で発見されたテクネチウムとなった。
1990年代になって、研究の再検討がおこなわれ、小川の発見したのは原子番号75のレニウム(1925年にノダックらによって発見)であった可能性が高いと見られる。最近になり、小川が1930年に亡くなる直前、自ら精製したニッポニウムを含む試料を東京大学など2ヶ所でX線分析にかけてもらった結果、ニッポニウムはレニウムだという結論に達していたことが判明した。
[編集] 外部リンク
- 小川正孝 - 新元素「ニッポニウム」の発見者 (PDF)