小林聡
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小林聡(こばやし さとし、1972年3月16日 - )は長野県長野市出身のキックボクサー。様々な団体を渡り歩いてきたことから「野良犬」というあだ名で呼ばれる。藤原敏男が会長を務める藤原ジムに所属。左フックと右ストレートを得意としている。ちなみにハイヒールモモコの本名とは同姓同名で読みが違う。
[編集] 来歴
- 1991年10月26日にデビュー。
- 1998年9月22日 - K-Uライト級タイトルマッチで須藤信充(王者)と対戦。2R0分55秒KO(右ロー)で勝利し、新王者になる。
- 2000年1月21日 - 全日本ライト級タイトルマッチで金沢久幸(同級王者)に挑戦し、判定3-0で第11代全日本ライト級王者に輝く。
- 2000年7月30日 - WKAムエタイ世界ライト級王座決定戦でマルコ・”アドレナリン”・コスタグータ(イタリア/同級1位)と対戦。4R3:00KO勝ちし、新王者になる。
- 2000年12月9日 - イタリアのポルデノーネで行われたWPKCムエタイ世界ライト級王座決定戦(肘禁止)で、マルコ・コスタグータ(イタリア)と再戦し、王者になる。
- 2001年9月7日の全日本キックの試合で、タイのラジャダムナン・スタジアムライト級王者テーパリット・シットクグォンイムと対戦し、4R0分21秒KO勝ちして話題を呼んだ。これは歴史的な出来事である。
- 2002年12月14日 - ルンピニ-スタジアムで行われた「TOYOTAタイランド・ムエマラソン 140ポンド・トーナメント」に参加。1回戦でエルビス・ロムポージム(カメルーン)を1R2:09KO(ヒザ蹴り)で勝利し、2回戦でもティモ-・フォンジム(オーストラリア)に2R0:33KO(ローキック)で勝利をおさめるが、決勝戦でブアカーオ・ポー.プラムックに3R判定で敗れ準優勝に終わった。
- 2005年1月4日 - WPKC世界ライト級タイトルマッチで大月晴明と対戦。3R2分31秒TKO敗けを喫し、王座を手放す。
- 2006年11月12日 - 全日本キック「Solid Fist」 第8試合、ムエタイ現役4冠王者 ジャルンチャイ・ケーサージムに5R判定0-3(48-50、48-50、49-50)で敗戦後、突然の引退宣言を行う。
[編集] 獲得タイトル
- 第2代K-Uライト級王座(1998年9月22日 - 1999年)
- 初代ニュージャパンキックボクシング連盟ライト級王座(1997年4月6日 - 1998年)
- 第11代全日本キックボクシング連盟ライト級王座(2000年1月21日 - 2001年)
- WPKCムエタイ世界ライト級王座(2000年12月9日 - 2005年1月4日)
- WKAムエタイ世界ライト級王座(2000年7月30日 - 今現在)
前王者 1996年10月に全日本キックボクシング連盟より独立 |
初代ニュージャパンキックボクシング連盟ライト級王者 1997年4月6日 - 1998年6月14日 |
次王者 佐藤孝也 |
前王者 須藤信充 |
第2代K-Uライト級王者 1998年9月22日 - 1999年 |
次王者 王座はNKBに移行 |
前王者 金沢久幸 |
第11代全日本キックボクシング連盟ライト級王者 2000年1月21日 - 2001年 |
次王者 金沢久幸 |
前王者 不明 |
WPKCムエタイ世界ライト級王者 2000年12月9日 - 2005年1月4日 |
次王者 大月晴明 |
前王者 不明 |
WKAムエタイ世界ライト級王者 2000年7月30日 - 今現在 |
次王者 N/a |
カテゴリ: 日本のキックボクサー | 1972年生 | 長野県出身の人物