小渕千代
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小渕千代(おぶち ちよ、1906年 - 1996年)は、日本の実業家・政治運動家。吾妻三女傑の異名をとった。群馬県吾妻郡名久田村(現在の中之条町)出身。旧姓・関。「小渕ちよ」と称することもある。
[編集] 来歴・人物
佐藤裁縫専門学校(現在の高崎商科大学附属高等学校)卒業。鐘紡に入社。新町工場に勤務する。その後、小渕製糸所に入社。1929年、小渕光平(のち衆議院議員)と結婚。光山社役員として業務に従事。1949年、夫の衆議院選挙出馬に伴い、運動員として奔走。1952年、公職選挙法違反で逮捕される。1958年、公職選挙法違反で逮捕され、一か月間勾留される。この年、夫が急逝。その後、製糸業の斜陽化のなかにあって地道な経営努力を続け事業を維持したが、1995年、光山社製糸所操業停止。1996年、死去。