小西隆佐
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小西 隆佐(こにし りゅうさ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての堺の豪商。豊臣秀吉の家臣。「立佐」とも言われる。
|
||||
時代 | 戦国時代から安土桃山時代 | |||
生誕 | 不明 | |||
死没 | 天正20年(1592年) | |||
別名 | 弥九郎 | |||
霊名 | ジアチン | |||
官位 | 和泉守 | |||
氏族 | 小西氏 | |||
父母 | 父:小西行正 | |||
妻 | 正室:小西マグダレーナ | |||
子 | 小西如清、小西行長、小西行景 |
小西行正の子として生まれる。永禄8年(1565年)、ルイス・フロイスの師事を受けてキリシタンとなった。霊名はジョウチン。天正13年(1585年)から秀吉に仕え、河内・和泉における豊臣氏の蔵入地の代官に任命された。天正15年(1587年)の九州征伐では兵糧の補給役を命じられている。
これらの功績から、天正18年(1590年)11月4日、法眼に任じられた。天正20年(1592年)、朝鮮出兵が始まると肥前名護屋城に入るが、まもなく発病して堺から京都に戻り、そして京都で死去した。