尻屋埼灯台
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尻屋埼灯台(しりやざきとうだい)は、青森県下北郡東通村の尻屋崎の突端に立つ白亜の灯台。辺りには寒立馬(かんだちめ)と呼ばれる馬が放牧されており一帯は景勝地となっている。
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[編集] 概要
- 位置 (北緯 41度25分48秒 東経 141度27分43秒)
- 塗色・構造 (白色 塔形 レンガ造)
- レンズ 第2等フレネル式
- 灯質 (単閃白光 毎10秒に1閃光)
- 実効光度 (53万カンデラ)
- 光達距離(18.5海里)
- 明弧 52度から3度まで
- 高さ<地上~塔頂> (32.82m)
- 標高<平均海面~灯火> (45.70m)
- 初点灯 (1876年(明治9)10月20日)
- 所在地 (青森県下北郡東通村尻屋字尻屋崎1-1)
- 管轄 (海上保安庁第2管区八戸海上保安部)
[編集] 歴史
- 1876年(明治9年)10月20日:東北最初の灯台として初点灯。
- 1879年(明治12年):日本で初めて霧笛が設置される。
- 1901年(明治34年):日本初の自家発電の電気式灯台になる。
- 1945年(昭和20年):米軍の攻撃により破壊。運用不能になる。
- 1946年(昭和21年)夏:破壊されたはずの灯台が光を放つ珍現象が起こる。以下の「まぼろしの灯台」を参照。
- 1946年(昭和21年)8月:霧信号舎屋上に仮の灯りを点灯する。同時に珍現象も消える。
- 1951年(昭和26年):灯台復旧。
- 1976年(昭和51年):点灯100周年。
[編集] まぼろしの灯台
第二次世界大戦中の1945年に米軍に射撃を受け、同時に村尾標識技手が殉職した。翌1946年、攻撃を受け破壊しつくされたはずの灯台が光を放ち、その目撃が相次いだ。付近を航行中の漁船が遭難を免れたということもあった。人々には、米軍の攻撃時に殉職した村尾標識技手の霊なのではないかといわれている。同年8月に霧信号舎屋上に仮の灯りを点灯すると同時にこの現象は消えた。なお、灯台には銃撃の跡が今でも残る。
[編集] アクセス
むつ市中心部より青森県道6号