屋根の上のバイオリン弾き
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『屋根の上のバイオリン弾き』(やねのうえのバイオリンひき Fiddler on the Roof)は1964年のアメリカのミュージカル。ショーレム・アレイヘムの短篇『牛乳屋テヴィエ』を原作としている。テヴィエ(Tevye)とその家族をはじめとして、帝政ロシア領となったシュテットルに暮らすユダヤ教徒の生活を描いたものである。この作品には19世紀末のシュテットルの様子が良く描かれているという。
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[編集] オリジナル ブロードウェイ プロダクション
1964年9月22日、ニューヨーク・インペリアルシアターにて初演。1972年7月2日まで7年9ヵ月、3242回のロングラン公演
- 脚本: ジョゼフ・スタイン (Joseph Stein)
- 作詞: シェルダン・ハーニック (Sheldon Harnick)
- 作曲: ジェリー・ボック (Jerry Bock)
- 製作: ハロルド・プリンス (Harold Prince)
- 演出・振付: ジェローム・ロビンス(Jerome Robbins)
[編集] あらすじ
テヴィエはウクライナ地方の小さな村で牛乳屋を営むユダヤ人一家である。亭主関白を気取ってはいるがその実、妻には頭が上がらない。5人の娘に囲まれ、ユダヤ教の戒律を厳格に守ってつましくも幸せな毎日を送っていた。
テヴィエは娘たちの幸せを願いそれぞれ裕福な結婚相手を見つけようと骨を折っている。ある日、長女のツァイテルに金持ちとの結婚話が舞い込むが、彼女にはすでに仕立屋のモーテルという恋人がいたのだった(仕立屋は7人で一人前ということわざがあり、男性として頼りないイメージがある)。テヴィエは猛反対するが、二人は紆余曲折を経て結婚する。また、次女ホーデルは共産革命を夢見る学生闘士パーチックと恋仲になり、逮捕されたバーチックを追ってシベリアへ発ち、さらに三女はテヴィエが敵視するロシア青年と駆け落ちしてしまう。
劇中で次第にエスカレートしていくユダヤ人迫害は、終盤でユダヤ人の国外追放が始まり、テヴィエたちは着の身着のまま住み慣れた村から追放されるまでになる。題名となる屋根のバイオリン弾きは、テヴィエの台詞の中で、危なっかしくもその日を暮らすユダヤ人の例えとして象徴的に登場する。
原作ではイスラエルの地へ帰還するが、ミュージカルではニューヨークに向かう所で話が終わる。
[編集] 映画化
1971年、ノーマン・ジュイソン監督、ジョン・ウィリアムズ編曲、トポル主演で映画化された。アカデミー賞で3部門を受賞。
[編集] 時代的背景
1920年代、アメリカには移民法が成立するなどし、移民の流入が阻まれた。そのために、ニューヨークにおけるユダヤ教徒の表現活動は、次第に東欧出身の1世から2世へと重心を移すようになっていったといわれる。そして、2世以降の若者は、ショレム・アレイヘムなどを東欧のイディッシュ語で楽しむ能力も余裕も失っていった。
1960年代に「屋根の上のバイオリン弾き」がブロードウェイ・ミュージカルとして大成功をおさめたのは、英語しか理解しない世代の台頭と、それらの世代の父・祖父の世代の世界へのノスタルジックな回帰、という時代風潮があったといわれる。
ユダヤ系移民に限らず、1世と2世などの「世代間の断絶」がアメリカの家庭にとって極めて切実な問題となっていた時代に、この作品はユダヤ系アメリカ人にとどまらず、一般に好評を博した。
[編集] 舞台上演
日本では1967年9月6日、東京・帝国劇場にて初演。テヴィエ役は1986年まで900回にわたり森繁久彌がつとめた。その後、テヴィエ役は上條恒彦、西田敏行、市村正親に移って、上演を継続中。
[編集] ディスコグラフィー
劇中歌としては 「サンライズ・サンセット」などが知られている。
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