岡林洋一
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岡林 洋一(おかばやし よういち、1968年4月11日 - )は、平成期(1991年~2000年)のヤクルトスワローズの投手。右投げ左打ち。引退後は2軍投手コーチとして後進の育成に勤めた。現在はスカウト(四国・中国地方担当)。
パラグアイ共和国アルトパラナ県イグアス市で、日系二世として生まれ育った。両親は高知県出身。
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[編集] 来歴・人物
- 高校は高知商業高校。3年生の1986(昭61)年、夏の甲子園に出場。ベスト8。同期出場に近藤真市(享栄。対戦して勝利している)。長谷川滋利(東洋大姫路)などがいた。
- 1987年 専修大学に入学。
- 1989年 東都大学野球リーグで専修大学31回目の優勝にエースとして貢献
- 1990年 ドラフト1位でヤクルトに入団。背番号は15番。同期入団に高津臣吾(ドラフト3位)など。
- 1991年 オープン戦ルーキー大賞を受賞。シーズンでも抑え投手として活躍し、12勝6敗12Sをあげる。
- 1992年 先発、抑えと大車輪の働きで、14年ぶりのリーグ制覇に貢献。日本シリーズで敢闘選手賞受賞。
- 1993年 前年からの酷使がたたってか、5勝8敗に終わり、日本シリーズでの登板もなかった。
- 1995年~2000年 故障に泣かされ続ける。年に0~1勝程度で、一軍での活躍機会がほとんどなくなる。
- 2000年 現役引退。
- 2001年 2軍投手コーチに就任(~2004年)。背番号は79番。
- 2005年 スカウト(中国・四国担当)に転身。
[編集] エピソード
- 1992年9月11日の対阪神タイガース戦では、7回から登板し、途中40分の中断を挟みながらも、15回(当時は延長15回まで、それでも決着がつかなければ再試合、というルール)まで9イニングを“完封”した。
- 1992年の日本シリーズでは、第1・4・7戦に先発登板し、いずれも完投。3試合とはいえ、延長戦が2回あったため、30イニング、実に430球を投げぬいた。日本シリーズで3完投以上を記録したのは、1964年のジョー・スタンカ以来28年ぶり4人目。また当シリーズ3試合を通しての防御率は、最終的に1.50と傑出しているにも係わらず、1勝2敗に終った為、悲運のエースとしての印象が強いが、低目を丁寧に突くピッチングに、悲壮感を超えたカタストフィーを覚えるファンは未だ多い。
- 引退する直前にGET SPORTSのキャスター栗山英樹とのインタビューで、「首脳陣からまた3試合いけるか(投げられるか)、と言われたら何と言いますか。」との問いに、気丈に「いきます。」と答えた。
- 故障のため檜舞台に立った時期は短かったが、首脳陣の酷使に不服な様子も見せず、与えられた場面を投げ通した姿はファンの間で語りつがれている。
- パラグアイ出身のためか、寝言をスペイン語で言うときがあったらしい。同年代の選手からは「パラやん」の愛称で呼ばれていた。
- 鹿取義隆は遠い親戚に当たる。
[編集] 年度別成績
- 表中のこの数字はリーグ最多数字
年度 | チーム | 登板 | 完投 | 完封 | 無四球 | 勝利 | 敗北 | セーブ | 投球回 | 安打 | 本塁打 | 四死球 | 三振 | 自責点 | 防御率(順位) |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1991年 | ヤクルト | 45 | 1 | 0 | 0 | 12 | 6 | 12 | 106.2 | 110 | 8 | 25 | 93 | 47 | 3.97 |
1992年 | ヤクルト | 34 | 12 | 3 | 4 | 15 | 10 | 0 | 197 | 190 | 20 | 45 | 131 | 65 | 2.97(8) |
1993年 | ヤクルト | 17 | 5 | 2 | 1 | 5 | 8 | 0 | 115.2 | 120 | 13 | 30 | 62 | 47 | 3.66 |
1994年 | ヤクルト | 22 | 10 | 2 | 3 | 11 | 5 | 0 | 171.2 | 161 | 13 | 34 | 95 | 57 | 2.99(6) |
1995年 | ヤクルト | 20 | 3 | 1 | 1 | 7 | 7 | 0 | 107 | 116 | 12 | 21 | 54 | 45 | 3.79 |
1997年 | ヤクルト | 12 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 31.1 | 41 | 6 | 8 | 14 | 17 | 4.88 |
1999年 | ヤクルト | 19 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 29.1 | 34 | 2 | 20 | 20 | 17 | 5.22 |
2000年 | ヤクルト | 6 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 7.1 | 9 | 0 | 2 | 3 | 4 | 4.91 |
通算成績 | --- | 175 | 31 | 8 | 9 | 53 | 39 | 12 | 766 | 781 | 74 | 185 | 472 | 299 | 3.51 |
- オールスターゲーム出場 3回(1992年~1994年)