岡田茂 (三越)
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岡田 茂(おかだ しげる、1914年8月3日 - 1995年7月20日)は、日本の経営者で、元三越社長。京都府出身、慶應義塾大学文学部卒業。
[編集] 来歴・人物
1938年、大学卒業と同時に三越に入社。宣伝部長を経て銀座店長を歴任。銀座店長時代にはヤングファッションを売りとする営業政策で同店の成績を上げ、松田伊三男社長に評価されるが、その頃から公私混同が社内でも問題になっていた。
1972年に松田の後任の社長に就任。社長就任後は「岡田天皇」と呼ばれるほどのワンマン体制を築き、意に沿わぬ人物を次々と粛清していった。特に岡田のライバルと目されていた坂倉芳明を常務の座から追い、坂倉は堤清二の招きで西武百貨店副社長→社長となる(後に復帰して三越社長)。
強引な経営手法は1982年6月には優越的地位の濫用で公正取引委員会から審決を受けることになる。そして同年8月の「古代ペルシャ秘宝展」で偽物騒ぎが発生、さらに「三越の女帝」と呼ばれた愛人竹久みちへの不当な利益供与も明るみに出た。こうした中、水面下では三井銀行会長小山五郎を中心とした「岡田おろし」の準備が進められていた。
同年9月22日の取締役会。5つの議案の審議が終わった後、岡田は腹心中の腹心だった専務杉田忠義に議長を交代した。そして、岡田に渡された議案には書かれていない第6号議案、岡田解任決議案が杉田から発議され、16対0で可決成立し、その場で岡田は非常勤取締役に降格となった。このとき岡田が発したとされる言葉「なぜだ!」はこの年の流行語となった。後任には岡田によって飛ばされた名古屋三越社長の市原晃が就任し、信頼回復に全力を尽くした。
10月に竹久みちが特別背任で逮捕、10月29日には岡田自身も逮捕に至った。逮捕の際に取締役を辞任、これ以後三越とは一株主としてのつながりしかなかった。
1987年に東京地裁で懲役3年6ヶ月の実刑判決、控訴審の東京高裁で1993年に懲役3年の実刑判決が出され最高裁へ上告していたが係争中の1995年7月20日、腎不全のため死去。享年80。
高杉良の「王国の崩壊」(新潮文庫)は岡田を、大下英治の「小説三越・十三人のユダ」は岡田の解任劇までをモデルにした経済小説である。
娘幾美子は旧皇族竹田恒徳の二男恒治に嫁いだ。