岩富藩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
岩富藩(いわとみはん)は、下総国岩富(現在の千葉県佐倉市岩富字城手)に存在した藩。藩庁は弥富城(岩富城)。
目次 |
[編集] 藩史
岩富は元は「弥富」と呼ばれて千葉氏の家老原氏の一族である「弥富原氏」の居城であった。原氏は本拠地を生実城(小弓城)に置いていたが、後に里見氏の圧迫によって臼井城に移ったが。しかし、依然として生実城が対里見氏戦の前線基地であった。岩富は生実と臼井のほぼ中間地点にあったため、中継基地として重要な存在であった。
「地黄八幡」として有名な勇将・北条綱成の孫・北条氏勝は小田原征伐のとき、玉縄城で善戦したが、本多忠勝や榊原康政の説得を受けて徳川家康に降伏し、その家臣となった。そして氏勝は小田原征伐後、原氏に替わって下総国岩富に1万石を与えて岩富藩を立藩されたのである。氏勝は慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで尾張犬山城を守備する功を挙げた。慶長16年(1611年)3月に氏勝は死去し、後を養嗣子(保科正直の四男)の北条氏重が継いだ。氏重は慶長18年(1613年)冬、下野国富田藩に移封となったため、ここに岩富藩は廃藩となったのである。
[編集] 歴代藩主
[編集] 北条(ほうじょう)家
譜代。1万石。