岸田繁
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岸田 繁(きしだ しげる、1976年4月27日 - )は、京都府京都市北区出身のミュージシャン。ロックバンド、くるりのボーカル・ギター担当。
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[編集] 来歴
立命館中学校・高等学校時代にギターをはじめ、レッド・ツェッペリンなどを弾きながらギターを修得していく。また、立命館高等学校時代に佐藤征史と出会う。
立命館大学産業社会学部に入学。同時に大学の音楽サークルであるロックコミューンに入る。そこで佐藤征史とくるりの前身となるバンドを組む。
1996年に佐藤征史、森信行を誘いアマチュアバンドコンテストに出場。コンテストで見事優勝し、くるりの活動を本格化させる。
大学時代は、借金を背負っていた。(自身の日記より)
1997年7月、第1回フジロックフェスティバルを観覧。台風が直撃し死にかけるもニンニクの醤油漬けをかじって体を温め、何とか観覧する。石和温泉の健康ランドに宿泊しタクシーで2日目に行くも中止になっており駅で3時間うなだれる。
フジロックフェスティバルで出会ったシュガーフィールズの原朋信の自宅でのデモ録音と東京でのライブが入っていたため3人で上京するもその時点で所持金をほとんど使い果たし、録音する日まで井の頭公園のトイレで野宿をする。また食事はマクドナルドの安いハンバーガーを買い込みそれでしのいだとのこと。
録音した時に原からアンアーバーの曲を聴かされ、感銘を受けてくるりの代表曲である「東京」を作り上げる。
BADNEWSに送ったデモがきっかけでデモCD「もしもし」、「ファンデリア」をリリースした後、1998年10月に「東京」をリリースしメジャーデビュー。
1999年4月、デビューアルバムである「さよならストレンジャー」をリリース。
[編集] 人物
- ほぼすべてのくるりの楽曲の作詞・作曲を手がけている。
- ギターだけではなくピアノやドラムも弾くことができる。
- 鉄道ファンであり、自身の楽曲の詞の中に鉄道を登場させたり鉄道をモチーフにした楽曲もある。鉄道雑誌に連載を持っていたこともある。野月貴弘(SUPER BELL"Z)との対談は鉄道ファンの間で伝説となっており、後に両者とも京浜急行電鉄を題材とした曲(岸田:「赤い電車」 野月:「MOTOR MAN 京浜急行VVVF」)を発表した。本人曰く便器マニアでもあり、流れる音を聞いただけで型番がわかる。
- UK・USロック、ダンスミュージック、テクノ、クラシックなど音楽的嗜好は幅広い。特にザ・フーやビートルズなどの60年代のUKロックを敬愛しており、自身の楽曲にも影響を受けている。
- 使用ギターは主にテレキャスターを使用しているが、ギブソンSGやリッケンバッカーなども使用している。エフェクトペダルを使わないため、様々なギターを試しているとのこと。初期のころはストラトキャスターをメインで使用していた。ちなみにこのストラトキャスターは佐藤の父親が所有していたものであった。
- ZAZEN BOYSの向井秀徳とは公私ともに親しい。
- 高校時代は空手部に所属。
- 立命館高校と大学の先輩ということで、吉本興業の漫才師サバンナと予てから面識がある(ヨシモトファンダンゴTV放送『ワイ!ワイ!ワイ!』より)。だが、それ以外の若手芸人に関してはあまりよく知らないとも語っている。
- 好物はラーメンと発酵食品。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- くるり on WEB くるり公式サイト
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