島田洋八
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
島田洋八(しまだ ようはち、1951年2月13日 - )は、岡山県笠岡市生江浜出身の漫才師。漫才コンビB&Bのひとり。本名は藤井 健次(ふじい けんじ)。福山盈進高等学校卒。
[編集] 来歴
- 1975年、当時後の相方に当たる島田洋七がそのころ上方よしお(当時の芸名は上方真一)とともにB&Bを組んでいたが、洋七が望んでいた東京進出をよしおが拒んでいたため折り合いがつかずに解散。そこで桂三枝からの薦めもあって、洋七の3代目の相方となり(初代は団順一)新生B&Bが誕生した。
- 漫才では主にツッコミ担当であるが、ボケ担当である洋七の強烈なマシンガントークや「小野田さーん」と洋八の頭をめがけて叫ぶことからいじられ担当との形もとれる。
- 年は5歳下だが先に入門してる島田紳助からは呼び捨てで呼ばれてるが、本来の仕切りである「先に入ったものを『兄さん』(にいさん。東京ではあにさん)と呼ぶこと」に関しては洋八は特に紳助のことを兄さんと呼んだり先輩扱いしている様子などはない。
- そして1980年に空前の漫才ブームに乗ってスターダムにのし上がったが相方の洋七と比較すると人気やカリスマ性では到底及ばないものがあった。しかし翌年の1981年にスタートした大ヒット番組「オレたちひょうきん族」(フジテレビ)では同じように相方に差を付けられたビートきよし(ツービート)と松本竜助(紳助・竜介)らとうなずきトリオを結成し短期間ではあったが大人気を博すことになる。
- 一方で洋七は「ひょうきん族」では洋八よりも目立つことなく、徐々に2人とも人気が下がり1983年にコンビ解散。
- その後は役者活動をし、「藤井洋八」の芸名で活動。鮫肌男と桃尻女のいかれたホテルの支配人役は一部に高い評価を得たもののあまり認知される事はなかった。それから数年後、洋七が吉本に帰参を許された事もあり、再び洋七とともにコンビを再結成し現在も各劇場にて漫才をやっている。ちなみに伊豆諸島に在住している。またますだおかだの岡田圭右が洋八とキャラがかぶるとの話をよくされることもある。
[編集] 映画・テレビ出演歴
- 鮫肌男と桃尻女(映画)
- ナニワ金融道6(テレビドラマ)
- 池袋ウエストゲートパーク (第 8 話: 洋八の回) (テレビドラマ)
- 星雲仮面マシンマン(特撮)
カテゴリ: 人物関連のスタブ項目 | お笑い芸人 | 吉本興業 | 1951年生