島田紳助
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島田 紳助(しまだ しんすけ、本名:長谷川 公彦(はせがわ きみひこ)、1956年3月24日 - )は、漫才師出身のお笑いタレント、司会者。自称身長170cm、血液型AB型。京都府京都市南区出身・大谷高等学校卒業。京都学園大学中退。 吉本興業所属。関西系お笑いタレントの中では明石家さんま、ダウンタウンと並ぶ地位にある。政治番組『サンデープロジェクト』の司会を15年務めるなどから政界進出も度々うわさされる。
ネット上などで「紳介」「伸助」「伸介」と書かれているものがあるが、正しくは「紳助」である。
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プロフィール
- 一人っ子で寂しがり屋。短気だが、意外と涙もろい性格。父は元国鉄マン。
- 父親の職業と関係があるのかどうか分からないが東海道本線の東京~神戸間全駅を空で言うことが出来るが、1995年に改称された「長岡京駅」を改称前の「神足」と言ったり、栗東駅など比較的最近になって開業した駅については飛ばしている。
- 18歳のとき、B&Bに憧れ、B&Bの師匠である漫才コンビの島田洋之介・今喜多代(現・今日喜多代)に入門。同期に明石家さんま、オール巨人、桂小枝などがいる。若い頃には緻密な研究ノートを書いており、それを見たオール巨人を驚愕させたという。今喜多代は姉弟子の今いくよ・くるよと比較して、「荒削りで子供やったけど、純粋やから、決してうそはいわんかった」と目を細める。「島田洋七を倒す事に俺の青春を賭けよう」と誓ったが、「結局何もしてないのに勝手に倒れた」と当時を振り返っている。しかし洋七との兄弟弟子としての絆は今も深い。また直接の師匠ではないが、上岡龍太郎を心の師として尊敬している。
- 少年時代に暴走族をしていたが、それを逆に敢えて自分を「無教養側」の立場において「教養側」の石坂浩二と対抗軸で組んでみるようにするなど、番組内で強みとして生かしている面が多い。但し実際にはかなり目利きは出来る。
- 1975年9月に松本竜介(解散後松本竜助に改名。)と漫才コンビ紳助・竜介結成。リーゼントにおそろいのつなぎを着るというヤンキー漫才を確立し、1980年に起きた漫才ブームに乗って一躍ブレイクした。当時高校生だったダウンタウンの松本人志は紳助竜介の漫才に衝撃を受け、「面白いって事は格好いい」と悟ったという。
- 1982年に突然、東京大学への受験を宣言。共通一次試験の受験会場で受験阻止を訴えるグループと騒動が起き、またマスコミの過剰な取材に激怒したため受験を断念した。この出来事は後に紳竜の漫才のネタにもされた。
- 歌手でタレントのやしきたかじんがまだ無名だった頃、たかじんの留守番電話が面白いということで、自分の番組のゲストによく番組中に電話をかけさせていた。(その当時のたかじんの留守番電話はたかじん自らが作詞作曲した「留守番電話の歌」が流れていた。その歌はたかじんのアルバム「ソング&トークライブ わが輩は歌手である」のトークで披露している。)
- 1985年に紳助・竜介は解散。その際、「このままでは太平サブロー・シローやダウンタウンには勝てない」と発言し、当時無名に近かったダウンタウンの将来性をすでに見抜いていた。しかし当時新聞の見出しではサブロー・シローの字は大きくダウンタウンの字はとても小さく、各番組でもサブロー・シローのことばかりでダウンタウンのことは全く取り上げられなかった。竜介はひとつ返事で「うん」といったらしく、相方を務めてくれたことも含め、非常に感謝している。
- 同学年でデビューも同期の明石家さんまとは親友であり、ライバルである。2005年7月23・24日放送のフジテレビ系列の『25時間テレビ』の1コーナー「さんま・中居の今夜は眠れない」で、生放送中に逃亡した総合司会の笑福亭鶴瓶の代わりに登場。2005年4月2日放送の『うまッチ!』とともに、久々の共演を果たし、お互いの過去の恋愛を暴露し合った。二人の共演は2000年に放送された『パペポTV』最終回での友情出演以来。また、2005年9月27日放送の『踊る!さんま御殿!!』でも共演。
- 分析家で戦略家。オール巨人は彼の部屋一面にライバルや先輩芸人の「売れ方・勢い分析グラフ」が張り出されているのを目撃、また他の同期も分析ノートの存在を認めている。現在はテレビ番組の司会者を務めることが多く、そのテレビ番組にも企画段階から携わる。1年に1回ぐらいしか他人の番組にゲスト出演せず、火曜日から木曜日は休みらしい。しかし、最近は『魔法のレストラン』(関西ローカル)で「寿司 はせ川」の舞台裏を見せたり、『ダウンタウンDX』や『新どっちの料理ショー』などにもVTRながらもゲスト出演するなど、他人の番組に出る機会が増えている。
- 動産・不動産を問わず、かなりの資産家で財テク能力にも長ける。こうした現実主義な面を見せる反面、鈴鹿8耐挑戦やガンバ大阪の熱烈なサポーター活動、環境問題から大阪府豊能郡に一時期自宅を構えた事等、理想主義者としての顔も。
- 料亭に勤めていたことがあり、料理の腕前は芸能界でトップクラス。『料理の鉄人』で陳建一と対戦したことがある。『SMAP×SMAP』の1コーナー「BISTRO SMAP」にゲスト出演したときも腕前を披露した。
- 個人事務所を鈴鹿サーキットにあるコーナーの名称から「130R」と名付けた。板尾創路とほんこんがコンビ名を付けるときに、板尾がこの「130R」を気に入りコンビ名にした。一方は島田の会社、一方は吉本のコンビで、名前をもらった以外のつながりはない。しかし、島田紳助が領収書をもらう際に領収書に「130R」と書いてもらうとき、「板尾創路とほんこんに雇われている」と勘違いされることがあるという。
- 石垣島好きで有名であり、石垣島に喫茶店「TOMURU(トムル)」をオープンしている。また、2005年11月には大阪・東心斎橋に紳助の長年の夢であった「寿司 はせ川」をオープン。
- 熱烈な読売ジャイアンツのファンで特に長嶋茂雄信者である日本テレビの元アナウンサー・徳光和夫に対して、長嶋のことを「見えません!あんなのバーバリーのおっさんやないですか」と発言し、「日本中でそんなのいうのはあなただけですよ」と切り返された。ちなみに紳助本人はどこのファンとは明言してないが、スカイ・Aの阪神関連番組をよく見てると語ってたり、桧山進次郎や片岡篤史などの京都出身の阪神の選手と親交が深いことから、かなり阪神寄りと思われる。尚かつては、梨田昌孝と親交があり、プロ野球珍プレー・好プレー大賞のロケで大阪近鉄バファローズのキャンプを外国人に扮装して訪問したり、大阪ドームの始球式にも数度登場したこともあることから、大阪近鉄バファローズ贔屓であったとも言われている。
- 元相方の松本竜助については「いま消息不明で、どこにおるかわからへん」、「実は(松本は)いっこく堂の人形で俺が操っていた」、「俺は最初からピン芸人やった」など番組内においては散々にけなしているが、著書などにおいては「彼が居たから8年もの間漫才が出来た」などと相当な感謝と畏敬の念を持っている。また、近年竜助が金銭に困っていた際は紳助が面倒を見ていたことも、おすぎなど友人の口から明らかになっている。2006年3月に竜助が倒れた際も、予定されていた新番組『芸恋リアル』の製作発表会見など東京における仕事を全てキャンセルし、大阪へ駆けつけるが、同年4月1日に竜助は逝去。その日は、ちょうど『オールスター感謝祭`06』の日であり、紳助は悲しみに浸りつつも生放送本番に励んだということになる。実際、オール巨人も本番終了後は朝まで紳助と泣きながら竜助の思い出話をしながら呑んでいたことを明らかにし、また、2006年10月9日に放送された「メントレスーパー秋の2時間大放出スペシャル」でも本人が語っている。
- 一番最初は落語家を目指し、桂米朝宅へ行き弟子入りを願い出たが、米朝に「落語には向いていない。漫才の方が向いている」と言われ、漫才を目指すことにした。
- 土建屋よしゆきは高校の同級生。一時期、自身の番組に度々呼んでいたが現在は確執のため共演はない。
- 投資失敗談
- ある日、紳助は板東英二と株式投資の相談をしていた。そのとき、当時、大阪府知事であった横山ノックが、紳助らに「養命酒、ええでぇ~!!」と通りかがりに発言した。板東と紳助は、ノックの言が「政治家が投資関連の情報をもっていて、政治家の立場上はっきり言えないのでヒントを与えてくれた」と思い込んだ。早速、板東と紳助は養命酒製造株式会社の株式を購入した。しかし、養命酒の株価は下落して、結果的に投資は失敗した。後日、紳助が「養命酒(の株を買ったが失敗して)でエライ目(酷い目)にあいましたがな~、養命酒はええと教えてくれたのはどうでしたの?」とノックに言ったが、ノックの方は「そうやで、身体にええんや!」と返答した。ノックはただ養命酒が健康に良いと言ったつもりだった。
傷害事件と謹慎
2004年10月25日に大阪・朝日放送で『クイズ!紳助くん』収録の前に吉本興業の女性マネージャーと口論(社長ら恩人への呼び方《呼び捨てにした》説、アメリカ合衆国大統領選挙結果予想での見解違い説などがある)になり、首を殴って頸椎に捻挫を負わせていたことが明らかになった。被害女性は大阪府警に被害届を提出し、10月28日付で傷害事件として正式告訴された。同日に吉本興業の東京支社で記者会見を開き、謝罪した。
これを受けて吉本興業では11月4日まで紳助を謹慎処分とし、期間中のレギュラー番組については、各局ともテロップ(収録した日付など)を挿入して通常通り放送した。但し『行列のできる法律相談所』については法律をテーマに扱っているだけにテロップ挿入で放送というわけにはいかず、緊急生放送として事務所の後輩で番組レギュラーである東野幸治を司会に立てて放送した。
大阪府警大淀署は11月4日、紳助を「加害者」として傷害罪の疑いで大阪簡易裁判所へ書類送検し、略式起訴で30万円の罰金となった。
前述の謝罪会見で紳助は「髪をつかんで座らせ、平手で一発」と発表していた。しかし、その後の略式起訴の際には「右手やリュックサックで頭を殴った他、髪を掴んで壁に打ち付け、唾を吐き掛けるなどの暴行を加え、約2ヶ月の怪我を負わせた」という起訴事実を認めた事が分かっている。
なお、紳助は、当初の11月4日までの芸能活動自粛期間の無期限延期を表明し、11月8日の『キスだけじゃイヤッ!』を最後にブラウン管から一時期姿を消した。2005年1月2日に『行列のできる法律相談所』内の生放送で復帰のあいさつと、事件についての謝罪を改めて行い、復帰した。
無期限であったにもかかわらず、早期に復帰できたのは、吉本興業および後輩連の支援によるものと言える。ナインティナインは過去に信頼するマネージャーが被害女性からひょんなことで訴えられた経緯から早々に紳助を擁護するコメントを寄せ、ダイノジは一方的に紳助を擁護したために強い批判にさらされた。ダウンタウンも紳助のレギュラー司会の代行を勤め、紳助の復帰まで繋いだ。 吉本興業以外でも擁護する動きはあり、出川哲朗は自らの出演する番組の中で「紳助さんは理不尽な事では怒る人ではない」と弁護した。
当時、マスコミ各社は吉本興業の影響力を恐れ、「島田紳助司会者」「島田紳助所属タレント」などと苦肉の策でつけた肩書きを以って事件を報じた(→報道におけるタブー)。
被害女性は事件後休職していたが、2006年6月限りで休職期間満了として退職扱いとなった。しかし、8月4日には被害女性が紳助と吉本を相手取り、4400万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こしている。また、仕事ができなくなったのは首の捻挫やPTSDなどが原因であるとして、退職扱いの無効と雇用関係の確認も求めている。
もともと双方は芸能人とそのファン(元ファンクラブ会員)であって、関係は良好なはずである。ただ、被害女性の留学と吉本興業への就職をもって二人の価値観が替わり、(紳助=旧来の徒弟制度、被害女性=米国ゆかりのショービジネス管理)被害女性の態度に紳助が自らの価値観を押し付けた上での衝突であるという側面が垣間見られる。
出演
現在の出演番組
- オールスター感謝祭(TBS、年2回期首特番)
- 芸能界の厳しさ教えますスペシャル!(よみうりテレビ、年2回期末特番)
- プロ野球珍プレー・好プレー大賞(フジテレビ、年2回期首特番)
- ザ・ディール(TBS、年数回特番)
- 恐怖の食卓(フジテレビ、年数回特番)
- 行列のできる法律相談所(日本テレビ)
- ヘキサゴンII クイズパレード!(クイズ!ヘキサゴンII)(フジテレビ)
- 開運!なんでも鑑定団(テレビ東京)
- 世界バリバリ★バリュー(毎日放送)
- 芸恋リアル(よみうりテレビ)
- 美味紳助(テレビ朝日)
関西ローカル
過去の出演番組
- 松紳(日本テレビ、ダウンタウンの松本人志と共演)
- キスだけじゃイヤッ!(よみうりテレビ)⇒以後はスペシャル番組として放送予定。
- 謎を解け!まさかのミステリー(日本テレビ)
- 島田検定!! 国民的潜在能力テスト→島田検定SUPER!!(TBS)
- クイズ!ヘキサゴン(フジテレビ)
- コロンブスのゆで卵
- サンデープロジェクト(テレビ朝日、2004年3月まで)
- 嗚呼!バラ色の珍生!!(日本テレビ、2001年3月まで)
- EXテレビ(日本テレビ、よみうりテレビ)
- オレたちひょうきん族(フジテレビ)
- クイズ どんなMONだい?!(日本テレビ)
- 新伍・紳助のあぶない話(関西テレビ放送、1990年-1996年)
- カジノザウルス(関西テレビ放送、1996年7月-1997年3月)
- メトロポリタンジャーニー(フジテレビ、1996年4月-1997年3月)
- 紳助の人間マンダラ(関西テレビ放送)
- クイズ世界はSHOW by ショーバイ!! (日本テレビ 故・逸見政孝の代理司会)
- 歌のトップテン (日本テレビ)
- クイズ!!体にいいTV(日本テレビ)
- クイズ三角関係 (TBS)
- わくわく動物ランド (TBS)
- クイズ仕事人(朝日放送、『クイズ!紳助くん』の前身番組)
- 紳助のサルでもわかるニュース(よみうりテレビ)
- クイズ!当たって25%(TBS、1991年10月~1992年3月。オールスター感謝祭の原型番組)
- ムーブ・島田弁護協会(TBS、沼島の春よふたたび!お見合い大作戦はこの番組から誕生)
- 青春!島田学校(TBS、1990年)
- CLUB紳助(朝日放送、1988年4月12日-1996年9月)
- TV-JACK(朝日放送)
- 誰がカバやねんロックンロールショー(関西テレビ放送)
- 紳竜・さんまのスクープ一直線(関西テレビ)
- ヤングプラザ(朝日放送)
- 夢々夢中組(毎日放送)
- 紳助の狼が来た~(よみうりテレビ)
- 特捜!芸能ポリスくん(TBS、1997年-1998年)
- ジョン万次郎(TBS、2002年10月-2003年3月)
- 24時間テレビ(日本テレビ、2005年)
- スーパークイズスペシャル(日本テレビ)
- 太っ腹!紳助ファンど(関西テレビ放送)
- おとうさんの時間(NHK総合)
- 料理の鉄人(フジテレビ、1996年9月28日放送。陳建一と対戦したが負け)
- MBSヤングタウン木曜(毎日放送、1984年4月-1987年7月)
- ハイヤングKYOTO土曜(京都放送)
- B.C.ビューティー・コロシアム(フジテレビ、2001年-2003年)
- 人形劇三国志(NHK教育テレビ、1983年)
- ダウトをさがせ!(毎日放送)
- 島田紳助のスーパーギャング(TBSラジオ、1988年4月-1989年3月)
- 解決島田塾(テレビ朝日)
- Heartに聞け(TBS)
- ニッポン!チャ×3(TBS)
CM
過去のCM出演作品
- ブルーレット(1986年、小林製薬)
- ナムコ『さんまの名探偵』
- 1988年、アシックス
- 日清食品焼きそばUFO(1989年)
- 誌上対談(1989、日産自動車)
- ラガービール(1990年、キリンビール)
- C1000タケダ(1990年、武田薬品)
- 1991年-1992年、大信販(現:アプラス)
- 吟生(1992年、サントリー)
- 不老林(メイグイファ。1994-1995年、資生堂)
- アーモンド・チョコレート(1994-1995年、江崎グリコ)
- 関西風味(1995-1996年、キリンビール)
- ボンゴ・ブレンディ (1995年、マツダ)
- NEXT(1998年、フィリップモリス)
- NTTパーソナル関西
書籍
- 紳助の青春の叫び PART5(レオ企画)
- 風よ、鈴鹿へ (小学館)
- 風が、止まる時 (小学館)
- こんな僕でよかったら (毎日新聞社)
- 「いつも心に紳助を」 毎日新聞社
- いつも心に紳助を 2 (毎日新聞社)
- いつも心に紳助を ファイナル (毎日新聞社)
- ラストラン~おっさんたちの青春が終わった~ (小学館)
- 紳助のH・愛・ジョーク (毎日新聞社)
- メッセージ (毎日新聞社)
- えせ田舎暮らし (中央出版)
- 知識ゼロからの金儲け (幻冬舎)
- ぼくの生きかた (中央出版)
- いつも風を感じて(KTC中央出版)
松本竜助と共著
- 紳助・竜助のツッパリ魔(KKベストセラーズ)
松本人志と共著
- 松本紳助
- 哲学 (幻冬舎)
- 裏松本紳助
- 松紳
CD
- 1981年ごろ、紳助がボーカルを務める「紳助バンド」(ギターを弾けない村上ショージ、ベース・Mr.オクレ)として活動。
- 時間だけがロックンロール(1981年。作詞も)
- 東京コミュニケーション(作詞。紳助バンド)
- 万力の国(楽曲提供)
- 1982年 『い・け・な・い・お化粧マジック』(明石家さんまとデュエット)
- 1990年には「島田紳助&バスガス爆発楽団」を結成する。
- 1999年7月28日 島田紳助プロデュースの演歌「大阪の女」で島谷ひとみがデビュー。
- 紳助の人間マンダラの企画から。
- 2006年8月30日 島田紳助作詞の演歌、香田晋「おかあさん」がリリース。
- カシアスRECORDSの企画から。
映画
- じゃりン子チエ(1981年、東京ムービー新社。マサル役で声の出演)
- ガキ帝国 (1981年、ATG)リュウ役で映画初出演、スクリプター
- マンザイ太閤記(1981年、東京ムービー新社)
- 次郎長青春篇 つっぱり清水港 (1982年、松竹)森の石松役
- 逃がれの街(1983年、日本テレビ、田中プロ)米倉役
- 瀬戸内少年野球団(1984年、ヘラルド・エース)正木二郎役
- 星くず兄弟の伝説(1985年、「星くず伝説」プロジェクト)「ひょうきんベストテン」司会
- ゴルフ夜明け前(1987年、東宝)桂小五郎役
- 死霊の罠(1988年、ジャパンホームビデオ)
- 佐賀のがばいばあちゃん(2006年)スポーツ用品店店主役(友情出演)
Vシネマ
- 新・童貞物語2 Close to you あなたのそばに (1991年、バンダイビジュアル)
- 殺しやPAZUZU (2000年、ミュージアム)
脚本・監督
風、スローダウン(1991年、東映。石田靖主演)
受賞歴
- 第1回 日本映画批評家賞 特別賞(映画「風、スローダウン」)
- 第17回おおさか映画祭 新人監督賞(映画「風、スローダウン」)
- 卒煙大賞(2004年、過去にthe brilliant greenやaikoらが受賞した賞)
- しかし、2005年『うまッチ!』や『FNS25時間テレビ』で堂々とタバコを吸う。最近では開き直ったのか、『松紳』でも堂々と喫煙し、松本人志にたびたびツッコまれていた。
関連
- 京都府出身の有名人一覧
- 徳光和夫
- 長嶋茂雄
- TOMURU
- 森光子(前世で、紳助の母親だった。)
主な友人
- 明石家さんま
- 和田アキ子
- 徳光和夫
- 松本人志
- 円広志
- 秋野暢子
- 磯野貴理
- 島崎和歌子
- 松澤一之
- 鈴木紗理奈
- 石田純一
- 東野幸治
- 飯星景子
- 辺見えみり
- 板東英二
- ロザン
- 野々村真
- 山田花子
- 品川庄司
- 宮川俊二
- 井上マー
- 高原兄
- 川村ひかる
- 山口もえ
- 橋下徹
- 北村晴男
- 丸山和也
- 松本竜介
- オール巨人
- 桂小枝
- 土建屋よしゆき
- YOSHIKI(世界バリバリ★バリューで、友人と証明された。)