嶋清一
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嶋 清一(しま せいいち、1920年12月15日 - 1945年3月29日 )は、和歌山県和歌山市生まれの元野球選手。甲子園球史に残る「伝説の大投手」。左投左打、身長171cm。
和歌山県立海草中学(現・向陽高校)入学後、1939年(昭和14年)第25回全国中等学校優勝野球大会(現・全国高等学校野球選手権大会)で前人未到の全5試合を完封、準決勝・決勝では2試合連続無安打無得点試合で優勝。
足を高く上げ、流れるようなフォームで強じんな左腕から投じられる剛速球は、当時の中学野球のレベルをはるかに超えるものだったと言われている。生涯を通じて大学野球・中等野球(高校野球)の発展に貢献し、「学生野球の父」と呼ばれた飛田忠順(穂洲)(1960年野球殿堂入り)は、この時の嶋のピッチングを「天魔鬼神の快投」と評した。明治大学に入学後、学徒動員によって戦地にかり出され、ベトナムの海岸線付近を北上中に、アメリカの潜水艦に攻撃され戦死。享年24。
一説には、野球マンガ「巨人の星」において、原作者・梶原一騎が主人公、左腕の剛速球投手である星飛雄馬のモデルにした、とも言われている。そのためか、TV版の「巨人の星」第125話「ズックのボール」において、嶋と飛雄馬の父・星一徹が戦場で出会い、嶋の戦死を一徹が見取る、という架空の話が放送されている。
[編集] 甲子園での記録
- 第25回大会 5試合(全試合)連続完封(対嘉義中・対京都商・対米子商・対島田商・対下関商)
- ※史上初の記録 → 第30回大会で福島一雄(小倉)が2度目の達成
- 第25回大会 45イニング連続無失点
- ※史上初の記録 → 第30回大会で福島一雄(小倉)が2度目の達成