ノート:川島令三
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[編集] 内容について
現在の居住地に関して細かい情報が書かれていますが、個人の現住所については「「□□県」または「□□県○○市」までが適当で、詳細すぎる情報は百科事典としての範囲を超えるため消去させていただきます。ご了承ください。--miya 2005年7月28日 (木) 00:01 (UTC)
最近、急に情報量が増えたようですが、川島氏の主張に賛成する方にももっと配慮した記述をお願いします。ここは百科事典ですからあくまでも客観的に。賛否両論あるのなら、両方を紹介してください。今のままでは批判的記述が多すぎます。--number8 2006年3月24日 (金) 08:04 (UTC)
- 今の文章でも十分客観的です。賛成論がさほど多い人なのでしょうか?賛否両論でも否のほうが多い人ではないでしょうか。評論家が鉄道会社を動かそうとしている現状はどうでしょう?尼崎列車脱線事故は高速性を求めて無理なダイヤを組んだとされています。川島の主張が影響されたともされています。評論家の通りにすれば利用者が増えるというわけではないので、社会的影響を考えるなら批判が多いのは仕方がないことです。220.63.216.49 2006年3月25日 (土) 22:17 (UTC)
- Miya.mです。久しぶりに記事を読んで見ましたが、中立的とは言いがたい内容ですね。Nunber8さんの意見に同意します。沢山の著書がそれなりに売れている人ですので賛成の方も多いはずです。なお企業活動において『評論家の意見』は参考にする事はあっても、それを理由に方針を左右する事はありません。事業の安定的継続や将来の発展を見越した会社方針を立て、厳密な投資効果の検討を行うのが当たり前です。その結果についても企業が評論家に責任転嫁することなどありえません。JR西日本の高速化については川島の意見と一致する点が多いとしても、脱線事故の責任の一部が『川島の主張』*にあったとする論理は成り立ちません(川島自身の気持ちは分かりませんが)。それを理由に批判的に書くのは百科辞典的ではありません。最近の加筆は川島にぼろくそに書かれてむかっ腹を立てた某鉄道の関係者が書き込んでいると見られても仕方ない状況です。Miya.m 2006年3月26日 (日) 07:56 (UTC)
現状の批判的言質もやむを得ないと考えます。
- その結果についても企業が評論家に責任転嫁することなどありえません。
- 著書「なぜ福知山戦脱線事故は起こったか」に、ボルスタレス台車が事故原因とした論について、その根拠は当該書籍にて
- 「ところが鉄道業界ではボルスタレス台車の導入を推進してきたので、ボルスタレス台車が危険であると言いにくい、あるいは言いたがらない雰囲気がある。
- ところが筆者は当初からボルスタレス台車に疑問を持っていたし、台車メーカーや一部関係者で、あまりよろしく無いどころか、危険とまで言う人までいた。」(P24)
と、述べるに留まり、工学的論拠は示されていない。
- また、鉄道ジャーナル誌2005 12月号にて、種村直樹のRAIRWAY REVIEW 尼崎脱線事故調報告に思う(P145)に、読者の言葉として
「日本の軽量車両は危ないのかと外国に思われて、売れなくなるかもしれませんよ。そんなことになったら、なるかもしれないと言うだけで損害賠償請求訴訟を起こされるかもしれません。」 とあり、風説の流布ととらえられてもやむを得ない。
- さらには、同p93-94に、久保田博による反論「福知山線事故に寄す」では「正確な機能を知らない誤った指摘で、本事故に関心を寄せる人たちを惑わせる」とまで処断している。
- 加えて、この久保田博への反論は、未だ川島側からは提出されていない。その後の書籍「贅沢な出張 全国鉄道ガイド」においては工学的な論が全く消滅したところを見ると、反論を準備している様子が見られない。
- 最近の加筆は川島にぼろくそに書かれてむかっ腹を立てた某鉄道の関係者が書き込んでいると見られても仕方ない状況です。
- 個人の主観によって、「ぼろくそ」では「ツッコミ」も鉄道関係者でならずとも言いたくなります。
「贅沢な出張 全国鉄道ガイド」の成田エクスプレスの記述に、固定座席では「ボッタクリ」(P163)という記述があったり、「なぜ福知山戦脱線事故は起こったか」p71に、「207系(事故車両)の内装は平行私鉄に引けを取らない」と、唐突に主観が入るのでは。
-
- お伺いしますが、記述が「事実でない」証拠はありますか?川島自身、批判が多いが改めないだけではないのですか?著書が売れていても、それが人気に基づくものですか?事故の後でも、自分の主張に責任をもっていないのですからね。読者におわびくらい言うべきところを逆に著書を書くくらいですし。川島の読者も煽り立てられて信じ込まされているだけです。物書きとして参考にしますが種村直樹のファンクラブなど、実際は親衛隊であることが事実であることに気づかず好意的に信用してしくじった人が多いです。何も腹が立つのは鉄道会社関係だけではありませんし。擁護意見を半分くらいにすることが事実になりますか?そもそもつりあうだけの肯定意見はありますか?批判的に書いている→百科事典的でない、これは全部のWikipediaの記事の文章に当てはまるのですか?芸能人など、否定の多い人もいますよ。220.63.216.49 2006年3月26日 (日) 09:50 (UTC)
Miya.mです。220.63.216.49さん、お尋ねの相手の名前がありませんが、多分私に対するご質問と考えてご返事します。上にも書きましたように、川島の提言と事故の原因は別物です。これは社会人(大人)としては当たり前の判断であり、あれだけJR西日本を叩いたテレビや新聞もまともな報道の範囲では川島の責任について言及していません。『読者におわびくらい言うべきところ・・』のご意見は、お門違いな責任追及と推察します。それを根拠に「批判が多いのは仕方がない」とおっしゃられるのなら中立的でないと言わざるを得ません。
『好意的に信用してしくじった人・・』の話も、「ファンクラブ=親衛隊である」という当然わっかているべき事実を知らずに行動した人の失敗談ですね。芸能人記事については、劣悪な例をまねする必要はありません。Miya.m 2006年3月26日 (日) 11:17 (UTC)
- どうやら信者の方のようで。まあ、マスコミは川島の論を知らずにゲストに呼んだようですから。川島論と事故に関連性があること、川島論と事故が矛盾していることに気づかないようです。当時の鉄道関係のブログなどを呼んだ人は気づいていますよ。
- それと、記事に不満のようですが、「事実でない」「肯定意見がほとんどない」証拠は出せないようですね。百科事典ですから、あくまで記述は事実でなければなりません。川島を擁護したい、今の記事が気に入らないといっても事実には変えられません。批判が多数あることは事実ですから。
- 余談ですが、種村の会は表向き、募集の時ファンクラブだとも親衛隊だとも言っていません。情報がないと信用するしかありません。220.63.216.49 2006年3月27日 (月) 10:02 (UTC)
『信者の方』とは見くびられたものですなぁ。まぁそれは置いといてこの項目を「中立的記述」にするための議論に移ります。
- 連続立体化の問題:具体的にどこの問題かわかりません、根拠の乏しい批判として削除すべきです。
- JR東日本のロングシートの件:川島はロングシートの利点を全て無視しているわけではありません。よって「ただ、クロスシートの欠点である・・・」の記述は不適切です。川島はその著書で近鉄のデュアルシートを評価しているように、乗客の利便性を考えた適材適所を主張しています。それゆえ この項における批判はイチャモンですね、削除すべきです。
- 賛美者と当事者に分けて、賛美者をやや否定的に、当事者を川島から批判される側にいるように書かれています。ここで利用者を当事者に入れるのはかなり無理があります。関西圏の私鉄凋落現象は乗客が川島を賛美したわけでは無く、利用者が速くて便利なJRを好んだ結果ではないでしょか?チンタラ走る阪急宝塚線や、カーブや駅が多く速く走れない阪神電車からJRに乗り換えた乗客全てが川島の信者というわけではありません。利用者は速くて安くて便利な交通手段を選びます。賛美者・当事者は関係ありません。賛美者が書いてある項も一旦消すべきと考えます。Miya.m 2006年3月27日 (月) 13:43 (UTC)
- 連続立体化の話は小田急電鉄の複々線化における用地の問題です。公認サイトに載っていました(現在は閉鎖)
- 川島はじめ物書きは趣味人と迎合するためとしか思えないクロスシート指向です。クロスシートなら手すりに掴むことができてよいと、趣味人に合わせたこじつけでクロスシート賛美です。実際にクロス車で転びそうになる立ち客は多いです。
- 利用者が西日本を使うようになったのは阪急や阪神が遅いからではありません。阪神・淡路大震災で不通区間が出た関係で利用できる線が限定されたことがそもそもの影響です。あなたは阪急や阪神がやる気がないと言わんばかりですね。やはり信者ですね。乗客・鉄道会社関係者という当事者すら認めないとはよほどの川島ひいきですね。会社の方針は当事者で決めるものですよ。あなたは過去のノートでそういっておきながら「当事者は関係ない」ですか?あなたは回し物ですか?220.63.216.49 2006年3月28日 (火) 01:03 (UTC)
「回し者」扱いというのはいかがと思いますが。またクロスシートについてですが、『鉄道再生論』などを見ても「(ロングシートは混雑時には最悪の座席であるが)空いているときはこちらのほう良い面もある。なぜなら足を前に投げ出せるからである。」などと、ロングシートを肯定する記述もいくつか拝見できます。更に阪神大震災で乗客が移ったというのは「きっかけ」でしかありません。その後JR使用に定着したというのとは別の次元の話のようにも見受けられますが。一部記述を取りあえずコメントアウトしました。--Shinkansen 2006年3月28日 (火) 01:27 (UTC)
Miya.mです。220.63.216.49さん、川島の著書を十分読破された上で批判されているのでしょうね?『回し者』という表現をされるからには阪急や阪神についてもよほどご理解があると思います。阪急や阪神の現在の凋落振りについて、本当に震災のみの影響だと思われるのですか?あなたは九州方面にお詳しいようですが、私は阪神間在住で何十年も前から阪急も阪神もJRもず~っと利用しています。(茶色のゲタ電に混じって水色の103系が走り始めた時の感動は格別でした。)阪神間乗客のJR私鉄離れは地震の前から顕著でしたよ。なお『当事者』についての誤解は国語力の問題と考えます。Miya.m 2006年3月28日 (火) 13:13 (UTC)
おかしい、と言い出した言いだしっぺが何もいわないのはなんなので、ここまでの議論を踏まえた上での私見を申し上げると、ここは「川島令三」氏の「紹介」をするところであって、氏の主張を批評する場ではないのです。これは本文でもノートでも同じです。私がこの記事の中立性に疑義を呈したのは、本文の記述が「川島令三批判者から見た川島令三の紹介」になっているからです。もちろん、批判も賛美もあるでしょう。ですが、それを越えて百科事典的記述を行おうとするならば、当該項目の執筆者の価値観は厳として排されなければなりません。それは賛美する側の方が書いても同じです。そうなっても私はきっと疑義を呈していたことでしょう。 私自身は川島氏の主張には是々非々、という態度で臨んでいますが、一方的批判も賛美も私自身の勉強として参考意見にはしますが、どちらの側にも与しないつもりです。 もし記事を書くとしたら、川島氏の主な主張、たとえば通勤車のクロスシート化などについて、賛成側(川島氏自身を含めた)の意見、反対側の意見を箇条書きにしてそれに一切の批評を加えない、という形がベストでしょう。--number8 2006年3月30日 (木) 05:49 (UTC)
その後、主観的な表現の削除・訂正が行われましたが、現在の記事の内容はいかがでしょうか?私も本文の執筆に関わった者の一人として反省しております。
- Miya.mです。「中立的な観点」というのは難しいですね。すいぶん中立的になったと思います。(本音を言えば、もう少し『辛口』でも川島らしくて悪くない気もしますが・・・)--Miya.m 2006年4月6日 (木) 13:43 (UTC)
- 一時期の批判論で埋め尽くされた時期に比べれば、大分客観・中立的になったように感じます。--Shinkansen 2006年4月6日 (木) 17:53 (UTC)
- 一月以上新たな書き込みが見られませんが、そろそろ「観点」のテンプレートを外してしまってもいいのではないでしょうか。感情的な記述等は殆ど排除されたと思います。問題があるとお考えでしたらご意見を願います。私自身、「中立的な観点」というのはよく解らないのですが…こまくさ 2006年5月14日 (日) 12:37 (UTC)
私も「中立的観点」のテンプレートは今の状態では不要ではないかと思います。
「中立的な観点」という話題からは離れてしまいますが、記事を少々整理したほうがいいように思います。主な特徴の項目に雑学的・余談的な内容が箇条書きされている状態はとても読みやすいとは言えません。阪神電鉄やフジサン特急についての件など、全体のバランスを考えないまま書き加えられているように感じられます。この部分は川島氏の著書や提言の方向性に関する特徴を述べることに特化させて不要な記述は削除、或は別に項目を立ててそちらに移動したほうがすっきりするのではないでしょうか。こまくさ 2006年4月8日 (土) 08:08 (UTC)
- 随分経ってしまいましたが、「主な特徴」にある内容を系統別に整理してみました。以前より読みやすくはなっていると思います。ただ、私は川島の著書、特に最近のものについてはあまり詳しくないので、内容については修正すべき箇所などあるかも知れません。他人任せで申し訳ないですがその際には訂正をお願いします。こまくさ 2006年5月14日 (日) 12:37 (UTC)
[編集] 間違いにも触れる「べきである」
本文に書きましたが「福知山線事故」本の不正確・デタラメさは話題のボルスターレス台車主因説に留まらず、川島氏による技術解説全般に及んでおり、指摘に対して全く訂正の動きのないことは是非触れるべきことです。 同書で誤りが特に集中しているのはATS・ATC解説章で、全文書き直し以外に直しようがないほど滅茶苦茶な部分が多数。このいい加減な知識をもTVでしゃべって拡げてしまうのが川島氏の特徴で、文体の問題なんかじゃありません。これに触れない「中立記述」はあり得ません。逐条的訂正を求められると小冊子規模になるでしょうから代わりにwikipedia該当項参照としてください218.180.72.1 2007年1月9日 (火) 01:50 (UTC)
[編集] 偏った防御!川島氏マンセイ
長期間放置の記事にわずか10時間(2007年1月9日 (火) 12:24)で批判に防御が入るとは!川島大明神への正当な批判が改めて大変な項目であることを認識。
川島氏の不評の主たる側面は、誤り多い解説内容とそれをかたくなに訂正しない無責任さである。 ところが2007年1月9日 (火) 12:24 修正では、それが「誤字、脱字、誤植からくる読者側の誤解」に責任転嫁されている。非難される責任は川島氏自身の記事にあり、読者の誤解が主因ではないのだ。いくら川島教信者でも事典を執筆するのなら事実に基づいて記述したらどうだ。
専門外でもきちんと調べて正しい記事を書いているライターは多数あり、川島氏が専門外だから信号ATS・ATCで多数のミスを冒したのではなく、自力検証能力:すなわち守備範囲を大きく超えた分野について極めて不十分な調査と理解で尼崎事故本を執筆しており、その誤りの内容は事故調報告書の有無に全く関係がないのに、「報告書に先だって出版」を誤りの理由にするなど、まさに非中立、不公正そのものの書き換えというほかない。困ったものだ。
川島氏の信号ATS・ATC解説の誤りは、現物の構造から機器の具体的動作を追って、それに反することから判断するしかないものが多く、ボルスターレス台車転覆原因論の様に文章として明文の反論があるものは少ない。だから技術力で真偽を判断して主張するほかないのだが、明文批判が外部資料にないことを以て、「ソースが示せないのは誤りと認めない」と馬鹿な主張をする向きさえある。そんな馬鹿な内容に明文の反論など付くはずがなかろう。読む本人の科学的・技術的素養が問われるだけで、基本原理や省令計算公式などは立派なソースである。それを元にした演繹を間違えてしまうと元も子もないが晒されることでやがて誤りは淘汰修正されるからそれもソースたり得るのだ。
川島信者諸氏は是非是非事故本のATS・ATC解説と他の同解説とを読み比べて、どちらの内容が科学的・技術的に信頼するに足るか良く判断して欲しい。デタラメさが理解できると100年の恋も醒めようというショックを受けるだろう。あまりのデタラメさにRJ誌上で久保田博氏が怒りを顕わに非難している実態が良くわかる。
若干のブレは残るが、当wikipediaのATS項、速度照査項、ATC項とじっくり読み比べて内容を理解できれば、川島氏の記述の酷さが具体的にわかるだろう。川島氏批判側もこれまで技術的内容に立ち入った批判は少ないから是非精読をお勧めする。スレで激しく交わされる評価の相違で片付けられる事項よりずっと深刻なデマ記述であることが分かるだろう。その上で書き込めば迫力は倍加する。 218.180.72.1 2007年1月10日 (水) 11:48 (UTC)
- こんばんわMiya.mです。218.180.72.1 さん、Wikipediaに執筆するに際してはいろいろな決め事があります。存命中の人について書く場合はWikipedia:存命人物の伝記をご参照ください。またあなたの主張についてはWikipedia:独自の調査をご配慮いただきますようお願いいたします。上記2方針は日本語への翻訳は不十分ですがwikipediaプロジェクト内で守るべき方針として確立しています。また「・・・マンセイ」等のご発言は「暴言」とみなされかねませんのでご注意願います。Miya.m 2007年1月10日 (水) 14:33 (UTC)
[編集] 218.180.72.1様 論旨は同感!しかし
しかしながら、書き直した方は善意で、少なくとも「中立公正な編集」だと確信されているので、客観的には「川島氏の誤謬を擁護・荷担するもの」になっていることを理解してもらえる書き方の工夫が要るでしょう。案の定、最強の川島謬論擁護原則が振りかざされてきました。どんな内容でも先に書けば、その訂正には権威あるメディアからの引用が必要だという実にデタラメライター擁護の「wikipedia原則」が現れて来るわけで、笑ってしまいます。
wikipedia自体が裁判に晒されないための自衛措置としての工夫は分かるのですが、川島氏自身がwikiの云う「独自研究」を記述し、それが学会など専門家向けに出されたものであれば批判に晒され誤謬が撃墜されるのですが、一般向けに出したために批判に晒され淘汰される機会が一般の場になるということです。だからwikiの場も、少なくとも両論併記の場を提供しないと公平中立でなく誤謬応援団化してしまう訳です。
その点、wikipedia自体のATS項、ATC項、速度照査項と比較せよとの指摘は大変妥当なものだと思います。三項とも共通して「権威あるメディアの記載」だけからは執筆できない専門的内容を多く含んでおり、執筆者自身の科学的・技術的知識と素養によって書かれているので、Miya.m氏提示の原則を適用すれば全項丸ごと削除になりますが、まさかそんな馬鹿なことはしませんよね。鉄道業界社員教育テキストの総論部よりも分かりやすく詳細に述べられている、どちらかと言えばかなり良い記事です。これを「削れ、削除だ!」というのは原則自体に適用不能の無理、誤りがあるということです。
ソース自体が文系の皆さんの云う「独自研究」で、反論に晒されるべきものに対しては反論も「独自研究」を対置し併記するのを許容しないと「中立、公正」にはならず、誤謬・デマ応援団になってしまう訳です。
アンチ川島派の主張には放置で良いものも多数あります。ワム208やカムE230導入による混雑感緩和が有り難い路線の乗客には転換クロスシート絶対論は苦笑するしかありませんが、線路条件の違いで、タレントとして受けるための極端記述で放置するしかありません。ですがボルスタレス台車原因論と133km/hまでは転倒しない、他に転覆原因!そしてATS-Sxは十分安全論の強弁で、これは謬論を批判しなければ社会に害!と思い直しました。権威あるメディアはこの下らない謬論を無批判に垂れ流すだけ。それをwikiが全く根拠無く肯定的に採り上げる。少なくとも氏の謬論に根拠がないこと、誤謬指摘は並立で書き込めないと「中立、公正」にはなりませんし、「根拠」たる著名メディアの報道もデタラメ。
併記方式ならwikipedia自体が裁判で責任を問われる可能性は限りなく小さいでしょう。(裁判自体は手続きとしては何に対しても起こせるので可能性0にはなりません)。その代わり両者の「独自研究」同士の闘いが延々と続く可能性はありますが、川島論文では現場実施の事実がそれを止めますので心配はありません。
技術的記述につき久保田博氏を川島氏と「同じ評論家」とは無謀というか失礼というか、国鉄技系実務幹部:小倉工場長などを歴任、技術者著作多数の指導的技術者を、必死に川島氏と同レベルに置く記述にするとか、誤植を強調して、重要な誤謬とその強弁を目立たなくする編集とかは何か涙ぐましい擁護努力に見えませんか?どう見たって中立・公正な書き直しじゃないですよね(w124.255.246.41 2007年1月11日 (木) 05:59 (UTC)
[編集] こっちの方が桁違いに酷いんじゃないの!?
Wikipedia:挨拶文の文例/「本人」からの削除要請
文面からすると、このNoteに投稿されたものを削除して実名のまま「文例」に晒し上げ!
当Noteに残っているのならまだしも、一般文例として晒すのは酷い!自宅電話番号を晒すのも非常識だけど、抗議の後処理もかなり陰湿に見えるけどどう思います?
物書きがその内容で厳しく批判されるのは商売のうちで、そのことで訴訟なんかやったら自滅だから、具体的に批判される内容があれば、それにどんな酷い評価を行おうと再反論すれば足りることとして問題にはならないから事実無根の誹謗中傷でなければ外れた酷い評価をしたところで神経質になる必要はありませんが、記事とは直接関係しないこうした個人晒しには正当理由はないでしょう2007年1月12日 (金) 05:33 (UTC) (218.180.72.1 さん)
- おっしゃるとおり、当時の経緯をご存じない方には誤った印象を与える内容であったので、削除しました。川島さんの名誉のために申し上げますが、当時の内容はたしかにご本人から抗議を受けても仕方が無いような内容でした。--miya 2007年1月12日 (金) 12:25 (UTC)
[編集] どうも問題点の捉え方が違う様で………。
- 必要な文例を削れなんて言ってません。
- 抗議される様な事実があり、当該箇所に申し入れとその対応痕が残るのは自然でしょう。詳細な自宅住所や電話番号を晒せば抗議は当然の話です。設計中や技術資料作成中に机上の電話に割り込まれてはうるさくて仕事にならないから、特に集中を要する作業では電話のない試作テーブルや実験室に待避して作業するのが常でしたから、個人ライターにひっきりなしに非難の電話を掛けられては作業妨害ですし、必要な連絡も極めて困難になるので法的措置を伴う強い抗議になるのは良く分かります。
- 決着後一定時間経過後に抗議直接関連部分を一体で削除するのも慣行や編集権の問題なら通るでしょう。
- 独立項目の凡例として実名で晒したことが問題だと思うのですが………。凡例なら○○で済むものを敢えて実名というのは攻撃的晒しでしょう。
自治体が手続き書類凡例に「甲野太郎」とかが標準ですが、福祉関係では申請者を愚弄する「大場茅朗」(おおばかやろう)とかして大問題になったこともありました。
- 必要な凡例だったのなら、匿名・仮名に直して残すのが順当でしょう。それともまさに必要のない晒しだったのでしょうか?
- 意図は別として書き直し内容が結果的に「中立」ではなく「擁護修正」になったことは理解して頂けたでしょうか?
218.180.72.1 2007年1月15日 (月) 16:07 (UTC)
[編集] あらし認定に驚き!
本文に若干の具体的批判が書き加えられ、その一部が表現を緩和して別項に移動された1サイクルと、それに関するノートへの書き込みをもって、「あらし」と認定して半保護とし、当該ノートも全文コメントアウトというのは無茶苦茶に過ぎるでしょう。 批判見解を「あらし」と称して許さないなんて………、中立を標榜した主観的な独裁。
そのうち執筆に専門的知識を必要とする項目は、著名メディアに直接の掲載がないことを以て検証可能性なしと全項削除となり、単行本化した川島御大デマ情報は、本自体をソースとして削除不能に到る欠陥方針の修正は必要でしょう。
落下の法則に矛盾する命題を試算に基づいて否定するのは理工学屋は「ソース有り」と考えますが、100%の一般人が試算できる訳ではないことを口実に「独自研究」などのレッテルを貼って禁止していたら川島本の批判は不可能になります。物理層でのいい加減さが氏の主張の重要な特徴なのに、あんないい加減な記述に逐条で反論するような著名専門家やメディアなど現れようがないでしょうが、。 218.180.72.1 2007年1月21日 (日) 06:51 (UTC)