市川左團次 (4代目)
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四代目市川左團次(よだいめ いちかわ さだんじ 1940年(昭和15)11月12日 - )は、歌舞伎役者。屋号高島屋、紋三升の左の字 松皮菱蔦紋。本名、荒川欣也(あらかわ きんや)
三代目市川左團次の長男として生まれる。ただし、自著『俺が噂の左團次だ』では母は祇園の芸妓で、自身は三代目の贔屓筋が実父と述べている。
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[編集] 略歴
- 1947(昭和27)年5月 - 東京劇場で二代目市川男寅として、『菅原伝授手習鑑・寺子屋』の菅秀才で初舞台。
- 1962(昭和37)年2月 - 歌舞伎座で『曽我の石段』で五代目市川男女蔵を襲名。
- 1979(昭和54)年 - 歌舞伎座で『京人形』の左甚五郎、『毛抜』の粂寺弾正で四代目市川左團次を襲名。
- 1981(昭和51)年 - 国立劇場の『夏祭浪花鑑』の三河屋義平次で国立劇場優秀賞。
[編集] 人物
線の太いおおらかな芸風で、立役、敵役、道化役などをこなす。『御所五郎蔵』の土右衛門や『壇浦兜軍記・阿古屋琴責』の岩永、『天下茶屋』の東間、『勧進帳』の常陸坊、『助六』の意休などが当り役。
テレビではNHK大河ドラマ『義経』で金売り吉次役を演じる他、その他『鬼平犯科帳』などのテレビ時代劇に出演し、茶の間を楽しませている。テレビドラマでは2006年の『ウォーカーズ~迷子の大人たち』では余命少ない、住職を務める父親を演じた。また、2007年のNHK大河ドラマ『風林火山』で上杉憲政役を演じる。
[編集] 主な出演作
[編集] 歌舞伎
- 暫
- 勧進帳
- 助六
- 菅原伝授手習鑑
- 熊谷陣屋(一谷嫩軍記) - 弥陀六役
- 河内山(天衣紛上野初花) - 高木小左衛門役
[編集] テレビドラマ
- 竜馬がゆく(1968年、NHK大河ドラマ) - 千葉重太郎役
- 豊臣秀吉 天下を獲る!(1995年、テレビ東京) - 蜂須賀小六役
- 炎の奉行 大岡越前守(1997年、テレビ東京) - 多門伝八郎役
- 南町奉行事件帖 怒れ!求馬(1997年 TBS・C.A.L.)第8話「罪を償うお役者小僧」 - 庄兵衛役
- 宮本武蔵(2001年、テレビ東京) - 池田輝政役
- 義経(2005年、NHK大河ドラマ) - 金売り吉次役
- ウォーカーズ~迷子の大人たち(2006年、NHK土曜ドラマ) - 山下徳大役
- 風林火山(2007年、NHK大河ドラマ) - 上杉憲政役
[編集] 映画
- さくらん(2007年)
[編集] エピソード
- 逸話が多い人物としても知られ、紳士録のアンケートに冗談半分で趣味は「のぞき」と書いたらそのまま載せられたことがある。たとえば実際に南座の顔見世出演中は楽屋の窓からアベックのラブシーンを覗いてしまったことがあり、後にトークショーなどでこの一件を巧みな話術で披露している。
- 学生時代は典型的な不良だったと自著で語っており、二代目男寅時代には十七代目中村勘三郎に恐れられたこともある。
- 歌舞伎で演じる役が悪役や老け役が多い反面、普段は人柄もよく、前述のトークショーの話においてもけっしていやらしく聞こえないのは、自身の人柄によるものである。
- 他にも歌舞伎での口上で出演する場合も、必ず笑いを取る口上をするため、これを楽しみにするファンも多い。加えて、隔年開催される俳優祭なる歌舞伎役者のイベントでは、必ずと言っていいほど「とんでもないこと」をやるため、これ目当てで来る人も多いという。十八代目中村勘三郎の襲名披露では、『昔、端役だった頃に勘三郎の前にいた自分がオナラをしてしまった』という話で場内が爆笑となっていたが、その刹那真顔に戻り「まずは、お祝い申し上げまする次第にござりまする~」とガラリと変わるのがまた面白く、場内は割れんばかりの拍手になった。
- 2006年には25歳年下、しかも子息と年が近い女性と再婚し、話題となった。
[編集] 著書
- 『俺が噂の左團次だ』(集英社)