帝国大管区
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帝国大管区(ていこくだいかんく、独:Reichsgau(ライヒスガウ)、複数形:Reichsgaue(ライヒスガウエ))は、1938年から1945年ナチス・ドイツにより併合された地域により構成された行政上の地域のことである。NSDAPの行政地域である大管区(独:Gau)とは別のものである。
この単語は、帝国を表すReichと大管区を表すGauを結合してできたもので、州に近い意味を持った、意図的に古風な意味にした単語である。
「帝国大管区」はいくつか存在した。
- オストマルク:以前独立したオーストリアだった地域から形成。
- ズデーテンラント:以前チェコスロバキアに属したドイツ語圏から形成。
- ダンツィヒ=西プロイセンとヴァルテラント:自由都市ダンツィヒと併合したポーランド
オストマルクはその後、いくつかの小さな「帝国大管区」に分割された。これは、旧オーストリアの州(Länder)に対応する形であった。
[編集] ベルギーの「帝国大管区」化の提案
1940年のベルギーへのドイツの侵攻後、「一時的」に軍政が引かれた。 1944年の7月、最終的に「大ドイツ」(Großdeutsches Reich)へ統合するための段階として、文民による統治が行われた。その年の12月、ベルギーは首都をカバーするブリュッセル管区(ここは、ドイツの国家委員(Reichskommissar)の直接統治下に置かれた)と2つの帝国大管区に分割された。2つの帝国大管区は、連合国の前進により、書類上だけのものであった。