幣原坦
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幣原 坦(しではら ひろし、明治3年9月(1870年) - 昭和28年(1953年)6月29日)は、日本の東洋史学者、教育行政官。大阪府門真市出身。幼名・徳治郎(とくじろう)。また、名前の「坦」は「たいら」と読まれることもある。
[編集] 来歴・人物
東京帝国大学文科大学国史学科卒業。東京高等師範学校教授、文部省視学官、東大教授を歴任した後1913(大正2)年広島高等師範学校長となった。台北帝国大学の創設に努力し、1928(昭和3)年同大学初代総長に就任。1942年興南錬成院初代院長になり敗戦後の1946年枢密顧問官に就任。
本職は朝鮮史を専攻する歴史家だが、学者としてよりは官僚、教育者として知られている。1953(昭和28)年6月29日没。
[編集] 閨閥
幣原坦の次女・澄江は農芸化学者・古在由直の長男・由正と結婚した。天文学者の古在由秀は由正・澄江夫妻の長男であり、坦の孫にあたる。坦の弟は外交官出身の政治家・幣原喜重郎で、喜重郎の妻・雅子は三菱財閥の創始者・岩崎弥太郎の四女である。また、喜重郎・雅子夫妻の長男・道太郎は獨協大学教授を務めた学者である。幣原家は古在家及び三菱の創業者一族・岩崎家と閨閥によって結ばれているといえる。
[編集] 主な著書
- 『南島沿革誌論』
- 『朝鮮教育論』