平川健太郎
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平川 健太郎(ひらかわ けんたろう、1969年12月21日 - )は、日本テレビアナウンサー。
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[編集] 人物・来歴
- 千葉県八千代市出身。
- 千葉県立八千代高等学校卒業。
- 上智大学文学部英文学科卒業。(同期のフジテレビアナウンサー西山喜久恵と同じ学科)
- 1992年に日本テレビ入社。
- 元来のプロレスファンで、全日本プロレス中継の実況を希望し日テレに入社。現在、日テレプロレス班チーフを務める。
- 同期入社アナウンサーは、野口敦史、大神いずみ、松本志のぶ。
[編集] 現在の出演番組
- ご存じですか
- プロレスリング・ノア中継
- PRIDE&SPIRIT 日本プロ野球他スポーツ中継(箱根駅伝、横浜国際女子駅伝など)
[編集] 平川とプロレス
後輩アナウンサーで、絶叫を売り物にしている矢島学とは正反対の、堅実で落ち着いた実況を売り物としている。上記通り、大変なプロレスファンで、プロレスの実況がやりたいが為に日テレに入社している。その後、希望通りにプロレス班に配属され、全日本プロレス中継では金子茂、野口敦史らが異動となってからメインアナウンサーとなった。
プロレスリング・ノア中継開始後は、日テレプロレス班元チーフであった若林健治がプロレス班を退いたため、チーフに就任。「プロレス班に入りたいが為に自費で観戦に行っていた」と言う今泉富夫プロデューサーと共に、プロレス愛、プロレスへの情熱を視聴者に伝えている。また、非常に間をとった絶妙な実況は視聴者の受けもよく、解説者である百田光雄や高山善廣の話も生きている。
名言も多く、特に2005年7月18日に行われた、ノア東京ドーム大会・三沢光晴vs川田利明の「最終決戦」の中で発した下記参照の一節は、ファンの心に残っている。また、終盤のエルボー乱打の際には一切言葉を発さず、一区切りした瞬間に口を開くという緩急も見せつけ、その実況センスは飛びぬけて一位だと称されている。
もちろん厚いマットを敷いた上での話だが、三沢光晴のエメラルド・フロウジョンを受けたことがある。
[編集] 名言集
- 雨の東京北の丸、日本武道館は涙に濡れました。武道館が泣いている!395日ぶり、小橋建太が帰ってきました!!(2002年2月17日日本武道館大会・小橋建太復帰戦入場シーン)
- 職業欄に「プロレスラー」と書きたいから、高山は今日このリング、そして小橋建太を選びました!!(2004年4月25日日本武道館大会・小橋建太vs高山善廣。高山がPRIDEのオファーを蹴ってまでノアを選んだことに触れて)
- やめろ、やめろー!(2004年7月10日東京ドーム大会・小橋建太vs秋山準。秋山がコーナーポスト上の小橋に対しエクスプロイダーの体勢に入った瞬間)
- 見ているのが辛い。ここまでやらなくてはならないのか。ここまでしなければ、小橋と秋山は語れないのか!(同上)
- 意識があればそれは奇跡的なことです。そして、このまま試合が続けられれば、それは人類として考えられないことです!!(同上)
- 巨人戦でも、ここまで東京ドームは揺れません!!(同上)
- 馬場さんのプロレスを守るためにノアを立ち上げた三沢、そして馬場さんの築いた城を守るために全日本に残った川田。どちらが偉いとか、尊いとか、かっこいいとか、そんなことは問題ではありません。これは、二人の男の生き様です!(2005年7月18日東京ドーム大会・三沢vs川田)
[編集] 過去の出演番組
- NNNニュースプラス1(スポーツコーナー)
- どんまい!!SPORTS&WIDE
- NNNニュースダッシュ
- Oh!診
- NNNニューススポット
[編集] 外部リンク
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