弘山勉
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弘山 勉(ひろやま つとむ、1966年10月12日 - )は日本の陸上競技の元選手で、マラソン・中長距離選手の指導者。2007年4月1日付けより、資生堂ランニングクラブの新監督となった。栃木県真岡市出身。
山前中学校在学時は、野球部に所属しポジションは投手であった。しかし、中学のマラソン大会で上位に入ったのをきっかけに、真岡高校入学後は陸上競技部へ転向する。高校時代は中距離ランナーとして活躍。その後、筑波大学の体育専門学群へ進学、箱根駅伝などでも活躍した。ちなみに、弘山は筑波大学が箱根駅伝の常連校であったころの最後の世代である。
その後、1989年資生堂に入社。マラソンのトレーニングを独学でおこない、入社すぐの翌1990年には別府大分毎日マラソンで3位、福岡国際マラソンで2位などの実績をあげる。日本マラソン界では待望されていた、中山竹通の次の世代のエース候補として将来を嘱望されたが、独学の限界ならびに故障等もあり、その後脚光をあびることはなかった。
現役引退後は、資生堂のコーチに就任となった。1993年2月には、オリンピックで3回連続出場を果たした弘山晴美(旧姓.鈴木)と結婚し、「弘山晴美のコーチでもある夫の勉さん」としても有名となる。指導者になってからも、独学で築いてきた彼のマラソン理論はさらに探求され、その手腕は妻・晴美の長きに渡る活躍で実証されている。
[編集] 主な記録
- 1990年2月 別府大分マラソン 第3位(日本人2位)
- 1990年12月 福岡国際マラソン 2時間11分37秒 第2位(日本人1位)
[編集] 著作
『スピードトレーニングでタイムが伸びる―弘山晴美のマラソン術』2005年 学習研究社