徳川茂徳
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徳川 茂徳(とくがわ もちなが、天保2年5月2日(1831年6月11日) - 明治17年(1884年)3月6日)は、江戸時代の大名、高須藩第11代藩主、尾張藩第15代藩主、一橋徳川家第10代当主。松平義比(よしちか)、徳川茂徳、徳川玄同(はるあつ)、一橋茂栄(ひとつばし・もちはる)などの名乗りがある。号は好徳、雅号は穆堂。
美濃高須藩第10代藩主松平義建の5男として生まれる。幼名鎮三郎。初名は建重。嘉永3年(1850年)父の後を継ぎ高須藩第11代藩主となり従四位下左近衛権少将、義比を名乗る。安政5年(1858年)、安政の大獄により、異母兄徳川慶勝が隠居謹慎となった後を受け、尾張藩主に就任。茂徳を名乗る。しかし、就任時の経緯から藩内の支持は佐幕派に限られ、慶勝の謹慎が解けると藩内の流れが変わったため文久3年(1863年)に隠居、慶勝の子の義宜に藩主を譲る。その後、慶応2年(1866年)徳川慶喜が15代将軍になった後を受けて一橋家を相続、茂栄を名乗る。明治17年(1884年)数え54歳で没。正二位まであがった。
会津藩主松平容保、伊勢桑名藩主松平定敬も兄弟であり、慶勝と合わせて「高須四兄弟」と称されるが、他の3人のように藩政・外交に主体的に取り組んだ形跡が薄く、時代の情勢に押し流され続けた生涯といえる。恵まれた境遇とは言いがたいが、息子の達道(さとみち)は無事一橋家を相続し、自らの系統を残すことができた。
1998年のNHK大河ドラマ「徳川慶喜」では石丸謙二郎が演じた。
[編集] 系譜
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