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愛媛マンダリンパイレーツ(えひめ - 、EHIME MANDARIN PIRATES)は、2005年から始まったセミプロ野球・四国アイランドリーグに加盟するチームの一つ。
[編集] 概要
チーム名は当県で生産されるミカンの品種の一つマンダリンと、当県出身の武将・村上水軍にちなみ海賊(=パイレーツ)をイメージしたもので、本拠地は松山中央公園野球場(松山坊っちゃんスタジアム)を使用する。チームカラーは橙色。監督は初年度・2005年は西田真二が務めたが、同年末の西田退任により、コーチだった沖泰司が2代目監督に就任し、現在に至る。 選手に関しては愛媛マンダリンパイレーツの選手一覧を参照。
[編集] 成績
[編集] 2005年の順位
年度 |
監督 |
順位 |
試合 |
勝利 |
敗戦 |
引分 |
勝率 |
ゲーム差 |
打率 |
防御率 |
本塁打 |
2005 |
西田真二 |
4 |
89 |
32 |
44 |
13 |
.421 |
13.5 |
.236 |
2.77 |
19 |
[編集] 2006年の前・後期の順位
年度 |
期 |
監督 |
順位 |
試合 |
勝利 |
敗戦 |
引分 |
勝率 |
ゲーム差 |
打率 |
防御率 |
本塁打 |
2006 |
前 |
沖泰司 |
3 |
45 |
20 |
20 |
5 |
.500 |
7.0 |
.230 |
2.95 |
17 |
後 |
沖泰司 |
3 |
45 |
16 |
24 |
5 |
.400 |
13.0 |
[編集] チームの特徴
- 1年目である2005年のシーズンはエースの西山道隆、好打者の林真輝、中谷翼のドラフト候補を擁し、前評判は高かったが、首位争いに加わることなくチームは最下位に終わった。優勝した高知ファイティングドッグスとの対戦成績は6勝19敗5分と大きく負け越し、高知の独走を許す要因になった。その後2次ドラフト(育成選手用=いわゆる練習生ドラフト)で西山が福岡ソフトバンクホークス、中谷も広島東洋カープに指名され、練習生ながらも四国アイランドリーグメンバーとして実質初めてのプロ入りの切符を手にした(その後西山・中谷ともに支配下登録)。
- 2006年は前年の反省を踏まえ、苦手としている高知に善戦した(高知との対戦成績は12勝15敗3分)。2006年シーズン前半は、沖新監督が掲げる守り勝つ野球がチーム内に浸透し、ミスで自滅する試合が少なくなった。また、4月に投手の浦川大輔や近平省悟の活躍で一時首位に立った。しかし、その後は高知と香川の首位争いに割って入ることができず前期は3位に終わった。2006年シーズン後半は前年首位打者の林が調子を上げ、投手陣も踏ん張ったが、攻守とも好不調の波が激しく、チームに勢いをつけることができず、後期も3位に終わった。個人タイトルは林が56打点で打点王を獲得、浦川は最多奪三振を獲得した。チーム成績は振るわなかったが、荒木康一や梶原有司など将来性のある選手が順調に伸びており、来年以降が楽しみなチームである。
[編集] スタッフ・選手
[編集] スタッフ
[編集] 主な在籍選手
[編集] 過去に在籍した主な選手
[編集] その他
- 2006年6月3日に、地域密着の一環で選手たちが小学生の通学路を見守る「見まもり隊」が発足した。選手、コーチ28人がそれぞれ分担して一週間に一回、ユニフォームに腕章を付け松山市内の小学校の下校時間に通学路で警戒に当たる。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
愛媛マンダリンパイレーツ - 2007 |
0 グレアム義季サイモン | 1 福西太志 | 2 伊東大輔 | 3 外間修平 | 4 比嘉将太 | 5 小田島一樹 | 6 荒木康一 | 7 松坂恭平 | 8 田口大地 | 9 大島慎伍 | 11 木谷智朗 | 15 宇都宮勝平 | 17 小山内大和 | 18 浦川大輔 | 19 梶本達哉 | 20 近平省悟 | 21 荻野優二郎 | 22 梶原有司 | 23 安達輝誠 | 24 山本肱平 | 25 長崎準平 | 26 桧垣浩太 | 27 松本悠 | 28 竹村優児 | 66 森琢哉 |
87 監督 沖泰司 | 88 斉藤浩行 | 86 加藤竜人
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