我闘姑娘
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我闘姑娘(がとうくーにゃん)は、日本の女子プロレス興行団体。2004年10月31日にさくらえみ(元川恵美)が中心となって新木場1stRINGで旗揚げされた。他の既存団体からの分裂ではなく、さくらえみ以外の選手は我闘姑娘で育成された選手が所属しているのが特徴。また、レフリーなどのスタッフも全て団体で育成している。萌え系の美形選手や小中学生がリングで闘う興行スタイルから癒し系プロレスとも言われるエンターテイメントプロレス。先に倒産・解散した全日本女子プロレス、ジャパン女子プロレスの流れをくまないという異色の団体である。
団体の代表選手だったさくらえみが2006年11月にアイスリボンに移籍し、さらに2007年1月27日の新木場1stRING大会を最後に興行が打てなくなり、最近は所属選手の退団・引退が相次いでいる。
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[編集] 所属選手
2007年3月28日現在
- 中学生レスラー。2004年、元川恵美(さくらえみ)戦でデビュー。アクロバティックな動きで活躍するも、最後は、さくらのしゅーくりーむによって敗れる。試合中は、さくらをババァ呼ばわりし、お客さんと一緒にババァコールをするなどのパフォーマンスをしてみせた。愛称は「りーちゃん」。高校受験のため休業中だったが、このたびプロレスを卒業することが発表された。
- ユニット舞組。団体の広報を兼任。2007年1月の大会を最後に休業中で、去就は不明。
- 中学生レスラー。第222代アイアンマン王者でもある。小学生とは思えない程の実力で春日や市井を瞬殺したこともある。2007年4月28日を最後にプロレスを卒業。
- 小学生レスラー。初めて小学生でアイアンマンベルトを取ったあいかに激しいライバル心を燃やしている。2007年4月28日を最後にプロレスを卒業。
【退団選手】
- さくらえみ(2006年11月4日付でアイスリボンに移籍)
- 零(2007年3月18日付でエスオベーションに移籍)
- 蒲原唯(旗揚げ戦直前に両足首を脱臼骨折、そのまま引退)
- 由藍郁美
- なつみ知香(海外留学)
- 流華(死去)
- 夏樹☆ヘッド(元全日本女子プロレスの水嶋なつみ)ドリームキャッチャーに移籍。現在はプロレスリングSUN所属。
- 市井舞(ユニット舞組。伊藤道場に移籍。)
- 早乙女未来(現役のグラビアアイドルだったが、デザイナーへの転身を発表。事実上の引退と思われる。)
- 希月あおい
- 小学生レスラー。母親は同じく我闘姑娘のレスラーの石井美紀。本名は「まき」というらしいが、デビューするに当たって、きのこに改名した。2007年2月9日付でアイスリボンに移籍。
- きのこの母親。元自衛隊員で、我闘姑娘のレフェリーをしていたが、娘の試合を見ている内に、自分も選手となった。2007年2月9日付で娘と共にアイスリボンに移籍。
- みなみ飛香(みなみ ひかり)
[編集] 特徴
この団体には、小中学生が複数在籍しているほか、以下のような他団体には無い特徴がある。
- プロレスにありがちなコスチュームではなく、普通の服装に近い格好で出場する選手もおり、とりわけ小中学生はそれで統一されている。
- デスマッチを行わない。ただし前記の理由により、ある意味ストリートファイトマッチがデフォルト、という解釈はできる。
- きっずに対しては、セクハラ攻撃(主に、浣腸・股間攻撃・恥ずかし固め等)は行わない。
[編集] スタッフ
2005年8月現在
[編集] レフリー
- 熊木つばさ
- 熊木みさき
[編集] リングアナウンサー
- コーガ亜紀(産休中) 初コールとなった旗揚げ戦でNGを連発。波瀾万丈の大会に拍車をかける形になった。
- 北村有希
[編集] 代表
- 池須 豊
現在は「ゆたか」に改名
[編集] 主な開催場所
- 板橋グリーンホール(東京都板橋区)
- 新木場1stRING(東京都江東区)
- 北沢タウンホール(東京都世田谷区)
2005年夏以降は概ね月1回ペースで興行を行っている。