承応の変
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
承応の変(しょうおうのへん)は、1652年9月13日に起こった事件。戸次庄左衛門の乱と呼ばれることもある。主な首謀者は別木庄左衛門、林戸右衛門、三宅平六、藤江又十郎、土岐与左衛門。
[編集] 計画
牢人の別木庄左衛門が、同士数人とともに徳川秀忠夫人崇源院の27回忌が増上寺で営まれるのを利用し、放火して金品を奪い、老中を討ち取ろうと計画した。
[編集] 露見
この計画も、慶安の変同様に仲間の1人が、松平信綱に密告したため、別木庄左衛門らが捕らえられ、処刑された。
また、老中阿部忠秋の家臣である山本兵部が別木庄左衛門と交際があったということで、同僚である老中の松平信綱は、阿部忠秋に山本の切腹を命じた。
[編集] 事件名の由来
9月18日、承応元年と改元された。事件は、慶安5年に起きたが、決着がついたのが、改元後の承応元年だったため、承応の変といわれる。