日本コンピュータクラブ連盟
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日本コンピュータクラブ連盟(にほん-れんめい)は、大阪市に本部を置く、大学のコンピュータクラブの交流を推進する目的で設立された任意団体である。通称は日コン連。
代表者は、創設以来今日まで理事長である山本隆雄が務める。
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[編集] 設立
1983年から毎日放送ラジオで放送された上新電機J&P提供の番組「コンちゃんのDOマイコン」内の企画として、神戸大学在学中の山本ら近畿地方の主要大学コンピュータクラブの代表者で結成された「近畿学生コンピューター連合」を前身とする。日コン連は山本がシャープに在職中の1987年に創設、退職後の1988年5月に発足している。事業部門として、日コン連企画株式会社も設立された(同社の社長は設立以来、やはり山本が務めている)。最盛期には、全国73大学103団体が加盟していたとされる。 パーソナルコンピュータ・テレビゲームメーカー各社との意見交換会、会社訪問会などを行っていた。また日コン連企画など関連団体を通して、パソコンショップの展開、就職活動の斡旋、コンピュータウィルスやハッカーなどのコンピュータ被害に対するアフターケアの実施を行っていたと日コン連のウェブページには記載されている。
[編集] ソフトバンクの関与
連盟の立ち上げにはソフトバンクが関わっていたとされる。浪速のガセネタ王の異名を持つ山本自身が「日コン連企画の社名命名者はソフトバンクの孫正義である」と吹聴して回っているため、巷間あまり信用されていないが、
など、一介の学生ユーザ団体にしては異様に厚遇されており、コンピュータ業界全体に対して力がある者の後押しの跡が伺える。 また、
- 日コン連企画発売のソフトが他のメジャーなソフトハウスの製品と同じ扱いで流通していた時期があること
- 2000年代までソフトバンクのコンピュータ関連雑誌が日コン連企画宛に毎号寄贈されていたこと
等から、ソフトバンクの関与はほぼ疑いのないものであるといえよう。
[編集] ソフトウェアの開発・販売
当初連盟には有能なプログラマが参集し、同社は1990年、国産初の市販アンチウイルスソフトウェアパッケージ「サイバーワクチンいてこまし」を発表した(但し、当時のハードウェアの制約等の理由でプリミティブなものであったことは、自他共に認めるところである。また初期版はハードディスク上での使用を想定しておらず、システムを損傷するなどの不具合があった)。他にも「スペルマスターかきたおし」「クロス英単はめたおし」「タイプマスターおしたおし」「女王様が教えてあげるシリーズ」など、山本独特のネーミングセンスで多くの国産パソコン向けのパッケージソフトを企画・販売した。
[編集] 変質(山本の個人商店化)
[編集] 休眠へ
1990年代後半には、連盟傘下の多くの大学コンピュータクラブでの学生の代替わり・活動の方向性の変化・クラブ自体の消滅などで、次第に連盟本来の活動は低調なものになっていった。不況やパソコンのシェア変動などによりパソコンメーカーからの賛助金が打ち切られるに至り、最後まで続けられた連盟機関誌C・able(ケーブル)の発行も、1999年10月の第18号をもって終了した。これらにより、実質的に日コン連は休眠状態に入り、日コン連企画はコンピュータ関連業務から撤退した。現在の日コン連は、山本がコンピュータ関連の事件を論評する(回数は減っているが今でも年に数回はお座敷がかかる)際に、「日コン連理事長」の肩書きを付加するためだけに残っていると言っても過言ではない。
[編集] エピソード
- 不謹慎ゲームがインターネット(パソコン通信)上に出回ると、山本理事長がマスコミに通報し、コメントを発表していたことでも知られる。これらの評価などについては山本の項の「コンピュータ評論家として」を参照のこと。
- 連盟と関わったことのある有名人としては、BM98の初代開発者であり、ソフトハウス経営のかたわら複数のコンピュータ関係の書籍を執筆していることで知られるプログラマーやねうらおがいる。
[編集] 外部リンク
- 日本コンピュータクラブ連盟
- 日本コンピュータクラブ連盟案内
- 日コン連企画
- 日コン連ってなんや?(ゴキブリの温床?) - やねうらおが見た連盟初期の貴重な記録。