日本民主党
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日本民主党(にほんみんしゅとう)はかつて日本にあった政党である。1954年~1955年に国会にあった政党にあったものと、1986年~1992年にあった政党と2つある。
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[編集] 日本民主党 (日本 1954-1955)
国民民主党の後身である改進党と、自由党を離党した鳩山一郎派が合同して結成された保守政党。正式名称は日本民主党。総裁は鳩山一郎、幹事長は岸信介。吉田茂が率いた自由党に対抗するため、自主憲法制定・再軍備を主張した。第5次吉田茂内閣が総辞職すると、第2党であった民主党首班による第1次鳩山内閣が成立した。少数単独内閣であったため、直後に解散、総選挙を行い第2次内閣を組閣した。この選挙で民主党は比較第1党となったものの依然単独過半数には達せず、自由党と合同(保守合同)して、自由民主党を結成して解散した。
[編集] 党勢の推移
[編集] 衆議院
選挙 | 当選/候補者 | 定数 | 備考 |
---|---|---|---|
(結党時) | 120/- | 466 | |
第27回総選挙 | ○185/286 | 467 |
[編集] 参議院
選挙 | 当選/候補者 | 非改選 | 定数 | 備考 |
---|---|---|---|---|
(結党時) | ?/- | - | 250 | 選挙を経ないまま自由民主党に参加 |
(参考文献:石川真澄(一部山口二郎による加筆)『戦後政治史』2004年8月、岩波書店・岩波新書、ISBN 4-00-430904-2)
- 当選者に追加公認は含まず。追加公認には会派に加わった無所属を含む。
[編集] 日本民主党 (日本 1986-1992?)
1952年から各種選挙に立候補し続けていた品川司が、1986年の参議院選挙に出馬する際に設立、自らの推薦団体とした政治団体。 品川は「福祉国家と世界平和の確立」、「国民精神の道徳による武装」をスローガンに、首相公選、参議院の比例代表制廃止、北方領土の回復などを選挙公約に東京都選挙区から立候補したが落選。 翌1987年の東京都知事選挙、1989年、1992年の参議院選挙にも、日本民主党名義で出馬したがいずれも落選した。その後、自然消滅した。