日産・リバティ
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当項目では、プレーリー・プレーリーリバティについても取り上げます。
リバティ(LIBERTY)は、日産自動車が販売していた乗用車。製造は日産車体(株)。ワゴン型のミニバン。
「リバティ」は「プレーリー」がモデルチェンジし、車名が変更されたものである。しかし、販売が不振であったせいか近隣諸国への輸出も多く、ネーミングは「プレーリー」のままで販売されていた。
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[編集] プレーリー・プレーリーリバティ・リバティの歴史
[編集] 初代 M10型(1982-1988年)
- 1982年8月 プレーリーM10型登場。
- 当時、荻窪にあった旧・プリンス自動車の開発拠点で開発された車種であり、開発主管は初代マーチ(K10型)、レパード(F31型)、ローレル(C32型)、スカイラインR31(7th)・R32型の開発主管を務めていた旧プリンス自動車出身の伊藤修令氏であった。
- 現在、実質の後継車であるラフェスタと競合するトヨタ・アイシスは、片側のみセンターピラーレス構造を採用し好評を得ているが、初代M10型プレーリーは、両側共にセンターピラーレス構造の現代のミニバンの形をいち早く採用した車であり、回転シートなども装備した5ナンバーサイズ8人乗りミニバンであった。前席のシートベルトリトラクタは左右フロントドアに内蔵された。
- 当時はミニバンというジャンルが確立されておらず、デビュー時のキャッチコピーも「びっくり BOXY SEDAN」と、新しいタイプのセダンという位置付けで、いわゆるミニバンタイプである3列シートのJW系(JW、JW-L、JW-G)のほかに後席を折りたたむことで広いラゲッジスペースを得ることが出来る2列シートのRV系(RV、RV-S)、同じく2列シートだがRV系より前後シートの間隔を広げたうえでシートバックの厚みをたっぷりととった固定式シートを採用し、リムジン感覚を謳ったSS系(SS-G)、さらには商用車のNV系(3人乗り、3/6人乗り)という4タイプのワイドバリエーションをそろえていた。搭載するエンジンは直列4気筒OHCのCA18S型・E15S型。
- ただし、足回りやパワートレーンを共用する前年デビューのT11型3兄弟で酷評されたCA18エンジン&トランスミッションの組合せを、ほぼそのままのチューニングで流用してしまった事や、1.3トン近い車両重量に対して明らかに力不足なエンジンスペック。更には最大のセールスポイントである前述の「センターピラーレス構造」に加え、積載性の向上を図るためリア開口部を下方向に大きく取り、ハッチゲートがバンパーごと開口する画期的なアイディアから起因する強度不足で、ボディ剛性が著しく低かった事などが災いし、コンセプト的には各方面で評価されたものの走行性能や動力性能の評価は芳しくなく、販売面ではそれらが大きく反映する結果となった。また「センターピラーレス+両側スライドドア」はボディ側ドア側双方とも負担が大きく、スライドドアの耐久性と言う面でも難が有り、当時の設計&生産技術の限界を露呈させる結果となった。
- 北米輸出仕様の名前はアメリカ合衆国ではスタンザワゴン(Stanza Wagon)、カナダではマルチ(Multi)の名で販売された。
- 1983年8月 日産のCI導入に伴い、NISSANマークが変更される。
- 1985年1月 マイナーチェンジ。フロントグリルの意匠変更やリアクォーターウインドウがルーフまで回り込む等、内外装のデザインが一部変更される。特に外観上大きく変わった点では、ボディ剛性の向上策としてバンパーごと開口していたリアハッチゲートをバンパー上端から開口する様に変更し、ボディ後端部への補強が施された。またエンジンにも手を加えられ、パワー不足解消のために2000ccエンジンを追加した。搭載するエンジンは直列4気筒OHCのCA20S型・CA18S型・E15S型。
- 1985年9月 2000ccにパートタイム4WD車を追加設定。翌10月には4WD特別仕様車「ウィンタースペースワゴン」を発売。
[編集] 2代目 M11型(1988-1998年)
- 1988年9月 プレーリーM11型にモデルチェンジ。後席スライドドアは踏襲したが、センターピラーを持つ構造となる。当初はCA20S型2000ccのみでグレードもJ系(J-6、J-7、J-8)とM系(M-5、M-7)の2種類と初代デビュー時に比べて大幅に簡略化されている。初代はシートタイプでシリーズを分けていたが、2代目では豪華装備のJ系に対して廉価仕様のM系という分け方をされていた(アルファベットの後の数字は乗車定員)。このため、2列シート仕様はM-5のみとなり一般ユーザーにとっては選びにくいものになってしまった。
- 1990年9月後 北米輸出仕様に搭載されていた直列4気筒2400ccのOHCエンジン、KA24E型を搭載した240G系(240G-5、240G-7)が追加される。こちらは5人乗りと7人乗りでの装備の差は特になかった。
- 1993年に北米でクエストが発売されたため北米仕様は前期型のみとなった。ちなみに北米での販売名はアクセス(Axxess)と名付けられていた。
- 1995年8月 マイナーチェンジ。リヤオーバーハングを延長し室内を拡大するとともに、フロント部分を以前の特徴的だったワンモーションフォルムから一般的な形にするなどの大幅な改良に伴い車名を「プレーリージョイ」と改称。エンジンは2400㏄が廃止され2000㏄のエンジンがCA20S型からSR20DE型へと換装。又初代からの特徴でもあったコラムシフト&8人乗り仕様が廃止された。純正エアロ搭載の「エアロエクスプレス」というグレードもあった。後期型からは全てのグレードにガラスハッチなども採用された。(※ガラスハッチはこの後のM12型にも継承される)
[編集] 3代目 M12型(1998-2004年)
- 1998年11月 M12型にモデルチェンジ。車名を「プレーリーリバティ」と改称。登場時の搭載エンジンは直列4気筒DOHC SR20DE型のみの1機種。2WD車は全てCVTを搭載し、4WD車は4速オートマチックを搭載した。セレナ、ラルゴ、エルグランドにも設定された純正エアロ搭載の「ハイウェイスター」も設定された。
- 1999年10月 「ハイウェイスター4WD」にターボエンジンSR20DET型を搭載し、内外装にも手を加えた「ハイウェイスターGT4」を追加。合わせてオーテックジャパンによる特別仕様車「アクシス」を設定した。
- 2001年5月 マイナーチェンジに伴い車名を「リバティ」に変更。フロントのデザインを変更したほか、搭載するエンジンをQR20DE型に変更し、助手席側にパワースライドドアを装備した。オーテックジャパンによる特別仕様車「ライダー」が「アクシス」に替わり設定された。
- 2002年8月 内外装を一部変更。
- 2004年12月 後継のラフェスタが登場し、国内向け生産を終了。
取り扱いは日産・ブルーステージ、レッド&ブルー。
[編集] 車名の由来
- 「プレーリー」の車名の由来は「大草原」の意味である。
- 「リバティ」は「自由」、「気まま」の意味。
なお、ジープ・リバティ(チェロキーの北米での名称)やスバル・リバティ(日本名レガシィ)とは一切関係ない。
[編集] CM
[編集] CMキャラクター
[編集] キャッチコピー
- 初代
- びっくりBOXYセダン
- アイデアセダン
- 3代目
- パパママリバティー
[編集] 外部リンク
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