朝乃若武彦
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朝乃若 武彦(あさのわか たけひこ、1969年12月11日 - )は、日本の元大相撲力士。本名、足立 武彦(あだち たけひこ)。
愛知県一宮市出身。高砂部屋(入門当時は若松部屋)所属。最高位は西前頭筆頭。(2000年5月場所)
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[編集] 来歴
中学時代は水泳部に所属し主将を務めるほどだった。相撲はほとんど遊びでしか取ったことが無かったが、中学時代の恩師の進めにより愛工大名電高校に進学し相撲部に入部した。近畿大学相撲部では同級生の大澤(元幕内朝乃翔、現・関ノ戸親方)と共に全国大会で活躍した。大学卒業と同時に近畿大学の先輩でもある元大関・朝潮の若松部屋(当時)に入門。1992年3月場所に幕下付出で「若足立」の四股名で初土俵を踏んだ。
初土俵から僅か5場所で1993年1月場所に十両に昇進。同時に四股名を「朝乃若」と改名した。その後は順調に番付を上げ、1994年3月場所に入幕を果たした。取り口は押し相撲だが最後まで押し切ることは少なく、引き落としやはたき込むことが多いが、時折呼び込んでの自滅も多く幕内上位で勝ち越すことが出来なかった。幕内を30場所連続して在位した後、1999年1月場所に初めて十両に陥落した。それ以降は十両と幕内を往復することが多くなったが、2000年5月場所に自己最高位の西前頭筆頭に番付を上げた。
制限時間一杯となった後、仕切り時に蛙のように体勢を低くする動作と、塩を土俵に叩きつけて気合を入れる動作(本人曰く「タイガーマスクの入場シーンをイメージ」)で観客を沸かしたていた。協会の審判部から塩まきの行為が少し雑すぎると何度も指摘されたが、パフォーマンスを一向に辞めなかった。しかし2000年11月場所初日に事件が起こった。朝乃若は新調したばかりの派手な真っ赤な締め込みを締めて土俵に上がった。その際、思い切って塩を拳で叩きつけたため、当時審判部長を務めていた境川親方(元横綱・佐田の山)が「ものには限度がある」と激怒したため、これを最後に封印し、落ち着いた仕切りに変えた。
しかし、幕下陥落が必至となり引退を覚悟していた2005年3月場所千秋楽に往年の低い姿勢の仕切り姿を披露し観客を沸かし現役生活を締めくくった。また引退時の記者会見では、自身の取り口とは裏腹な「前に出る力士を育てたい。」とコメントして周囲を笑わせた。
2004年5月場所を最後に幕内から遠ざかり、2005年3月場所には西十両5枚目の番付で1勝14敗と大敗を喫してしまい、翌5月場所は幕下に陥落した。5月場所が始まる前の4月28日に引退届を提出し、年寄・若松を襲名。現在は、高砂部屋の部屋付きの親方として後進の指導に当たっている。
[編集] エピソード
[編集] 主な成績
- 通算成績:547勝598敗(79場所)
- 幕内成績:346勝434敗
- 幕内在位:52場所
- 通算連続出場:1145回(幕下付出力士では最多。)
- ケガに強く、入門してから1度も休場することなく現役生活を終えている。
[編集] 各段優勝
- 十両優勝:1回
- 幕下優勝:1回
[編集] 改名歴
- 若足立 武彦(わかあだち たけひこ)1992年3月場所 - 1992年11月場所
- 朝乃若 武彦(あさのわか たけひこ)1993年1月場所 - 2005年5月場所
[編集] 年寄変遷
- 若松 武彦(わかまつ たけひこ)2005年4月 -