木村守男
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木村 守男(きむら もりお 昭和13年(1938年)1月24日 - )は、昭和・平成期の政治家。元衆議院議員・青森県知事。父は元衆議院議員の木村文男、長男は衆議院議員の木村太郎。
青森県南津軽郡藤崎町出身。東奥義塾高校から浪岡高校を経て、昭和35年(1960年)日本大学法学部法律学科を卒業。昭和42年(1967年)から青森県議会議員を3期務め、その間、青森県議会農林常任委員長などを務める。昭和55年(1980年)新自由クラブから衆議院議員に当選する。木村本人も新自由クラブの青森県連代表を務めていたが、同年12月に新自由クラブを離党し昭和56年(1981年)自由民主党に入党・田中角栄派に所属する。昭和58年(1983年)の田中判決選挙には落選したが、昭和61年の衆参同日選挙ではトップ当選で返り咲く。竹下登派から、同派分裂に際しては、羽田孜派に参加する。平成5年(1993年)新生党に参加する。平成6年(1994年)の新進党結党参加を経て、平成7年(1995年)より青森県知事。平成15年(2003年)1月の県知事選挙で当選し3期目に入った。知事としては、岩手県、秋田県との連携を強化し北東北三県による広域自治体・経済圏を模索していた。また、平成10年(1998年)3月に六ヶ所村のむつ小川原港への高レベル放射性廃棄物の搬入のため寄港しようとした輸送船の入港を拒否。橋本龍太郎首相と会談し廃棄物の搬入を認めた。
三選直後、週刊誌で「セクハラ不倫疑惑」が取り上げられ、事情の説明を求めた県議会と対立。 平成15年(2003年)3月18日には知事不信任決議案が僅差で否決された。
4月の統一地方選挙で県議会議員選挙が実施され、不信任決議案に反対した議員が多く落選。 選挙後の臨時議会で再び不信任決議案が提出され、採決の前日に辞意を表明。不信任決議案は結局採決されなかった。5月17日に県知事を辞職した。
青森県知事 | ||
第4代 北村正哉 |
第5代 1995 ‐ 2003 |
第6代 三村申吾 |
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