末広橋梁
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末広橋梁(すえひろきょうりょう)は三重県四日市市の千歳運河にかかる跳開式可動橋(鉄道橋)で、四日市港にある関西本線四日市駅構内の貨物専用線(四日市港線)を通す。西岸は四日市第一号埋立地であった四日市市末広町(名称はこの地名が由来)、東岸は同第二号埋立地であった千歳町。
1931年(昭和6年)竣工で、日本国内では現役唯一の跳開式可動鉄道橋梁。5連の桁により構成され、中央の跳開部の桁が橋脚上に建つ門型鉄柱の頂部に渡されたケーブルにより持ち上がる形式である。普段は約75度の角度で橋が跳ね上がり、船舶が航行できるようになっているが、列車運行時に桁が下ろされ通過が可能にある。
通過するのは全て四日市港の太平洋セメントへセメントや土砂を運ぶ貨車を引くディーゼル機関車で、1日に5往復ほど。管理はJR貨物が行っており、定時になるとJR四日市駅より係員が自転車で駆けつける姿は有名になっている。その様子はBSフジ 明治・大正・昭和の建築~日本の近代化遺産~の東海編で放送された。
中部国際空港建設時はセメントやコンクリートの需要が増大し、1日12回も開閉した記録が残る。1998年(平成10年)12月に近代化遺産建造物として国の重要文化財に指定されている。
なお、すぐ南側には同じく跳開式可動橋(自動車・歩行者)である臨港橋があり、2つの可動橋が並んで開閉するという珍しい場所でもある。
[編集] 橋の概要
- 構造形式 鋼鉄製上路式および下路式プレートガーダー橋、跳開式併用(山本式跳開橋)
- 橋長 57.98m
- 幅員 4.1m
- 主塔 15.6m
- 竣工 昭和6年(1931年)12月
- 施工主体 鉄道省
- 設計製作 山本工務所
- 設計製作を行った山本工務所は、大正時代にアメリカで橋梁の設計や施工を学んだ山本卯太郎の興した会社で、橋梁コンサルタントの草分けと言われた。特に可動橋を得意とし、全国に山本式跳開橋を造った(名古屋港線可動橋等)。中でもこの末広橋梁は山本の代表作であった。