長浜大橋
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長浜大橋(ながはまおおはし)とは、愛媛県の大洲市(旧・長浜町)の肱川河口にある道路橋。全体が赤く塗られていることから、地元では赤橋の愛称で親しまれている。
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[編集] 概要
船が通れるよう、中央部の18メートルの区間を跳ね上げて開閉する、バスキュール式(跳ね上げ式)可動橋で、現存する道路開閉橋としては日本最古。1935年(昭和10年)完成。
橋は夏季(7月~9月いっぱい)は夜間(19時~21時)イルミネーション点灯される。また、日曜日の13時に点検も兼ねて開閉される。
幹線道路としては、1977年(昭和52年)にさらに河口寄りに国道378号のコンクリート造の橋梁(新長浜大橋、長さ333m、幅10m)が架かり、そちらの方が圧倒的に通行量は多い。長浜大橋の方は現在は生活道路となっており、地元の車や通学の学童生徒がよく利用している。左岸(南岸)は市街地が密集し道路幅員が狭いので注意が必要。右岸は商店街であるが、車両も十分通過できる。
橋のたもとの橋名銘には「長濱大橋」と旧字体で表示がある。つくられた時のもの。
また肱川河口は肱川あらしの名所としても知られる。
[編集] 仕様
- 構造形式 バスキュール式可動橋
- 橋長 226m
- 幅員 5.5m
- 開閉部の長さ 226m
- 開閉部分の重量 82t
- 着工 1932年(昭和8年)10月
- 竣工 1935年(昭和10年)8月 勝鬨橋より5年早い
- 設計・施工 増田淳、細野組(大阪)、安藤鐵工所、大阪鉄工所
- 総工費 29万円
- 道路 県道
[編集] 経緯
架橋計画当時、長浜は肱川の舟運の拠点として、川を下ってくる木材や木蝋等の物資の積み替え、搬出、逆に川上へのさまざまな生活物資の中継港として栄えていた。また、伊予灘に面した漁港としても繁栄をきわめていた。当時、街の中心地である東岸と集落のあった西岸との間に渡し船があったが、交通を改善するため、当時の長浜町長であった西村兵太郎は橋の建設を提案。肱川は水深が深く、流れも比較的急であり、舟運を阻害しない可動橋の建設は当時としては画期的なアイデアであったが、一般にはなかなか理解されなかった。政友会と民政党の政争が盛んな時代で、民政党系の西村は、県会で政友会系の議員から激しく責められたという。とにかく、昭和10年、橋は完成したが、完成後一ヵ月後、西村は急逝した。
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- この節は2005年8月9日の愛媛新聞を参考とした。
[編集] 話題
- だん吉の訪問
- 日本テレビ系列の番組「ザ!鉄腕!DASH!!」で、ソーラーカー「だん吉」で日本一周の旅をするという企画の中、TOKIOの長瀬智也と城島茂がこの橋を訪れている(2006年11月5日放送)。
[編集] 参考文献
- 財団法人えひめ地域政策研究センター『えひめ温故紀行』(2003年、アトラス出版、ISBN490110828X)