末續慎吾
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末續 慎吾(すえつぐ しんご、1980年6月2日 - )は日本の陸上選手。熊本県熊本市出身。日本オリンピック委員会・選手強化キャンペーン・シンボルアスリート制度適用選手。
東海大学で高野進の指導を受けて才能が開花。高野が日本人の体格に合わせて構築した走法を完成させ、世界陸上2003年パリ大会の200メートル走で銅メダル獲得の快挙を成し遂げた。日本人でこの種目のメダル獲得は初めて。短距離走において上位入賞は黒人選手がほとんどを占める中、末續の世界陸上でのメダル獲得は驚異的な価値がある。世界最速の非ネグロイドとも言われる。 2006年のアジア大会では200m2連覇を果たした。
自己ベストは、100メートル10秒03(日本歴代3位)、200メートル20秒03(アジア記録)
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[編集] ナンバ走り
末續の走法は『ナンバ』の動きを取り入れていることで知られている。上半身(胴や肩)をあまり動かさないのが特徴である。ナンバや飛脚の走行様式を取り入れることは、以前から日本のトレーナーの間で研究されていて、トレーニングに組み込むことは一部では積極的に行われていた。銅メダル獲得で末續に注目が集まり、自身や高野進が走法について説明する際にナンバという言葉を用いたこともあって一般に知れ渡った。ねへ
[編集] 経歴
[編集] エピソード
- 小学時代に日清食品主催の全国大会に出場し、当時出場していた同い年の池田久美子に走幅跳で負けてしまう。それ以来、走幅跳を本格的にやらなくなる。
- 中学時代は全国大会の出場経験はないが、九州大会で100m2位に入るなど才能の片鱗を見せつつあった。
- 高校時代、国体で100mを2度制している。
- 高1のときの県大会で4種目をこなした後に顧問が止めたのにもかかわらずマイルリレーのアンカーを務め、走りきったあと倒れてしまった。
- 高3のインターハイのわずか2週間前に10針以上を縫う大怪我をしたが、強引に出場し200mは予選落ちに終わったものの、100mは入賞を果たした。
- 走行中の上体のブレを極力抑える為、1日2000回の腹筋をかかさず行う。また、この事を知った渋井陽子が真似をしている。
[編集] 主な成績
- 1999年 ジュニア選手権 100m 第3位
- 1999年 ジュニア選手権 400mR 第1位(3走)
- 2000年 シドニーオリンピック 200m 準決勝進出、400mR 第6位(3走)
- 2001年 日本選手権 200m 第1位
- 2001年 世界選手権エドモントン大会 200m 準決勝進出、400mR 第5位(2走)
- 2002年 アジア大会 200m 第1位
- 2002年 アジア大会 400mR 第2位(2走)
- 2003年 日本選手権 100m 第1位,200m 第1位 世界選手権パリ大会 200m第3位
- 2004年 日本選手権 100m 第1位 アテネオリンピック 400mR 第4位(2走)
- 2005年 世界選手権ヘルシンキ大会 200m 準決勝進出、400mR 第8位(1走)
- 2006年 日本選手権 200m 第1位W杯陸上アテネ大会 200m第3位、400mR 第3位
- 2006年 アジア大会 200m 第1位
- 2006年 アジア大会 400mR 第2位(2走)
[編集] 外部リンク
- Mizuno Track Club - プロフィールと競技歴
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