杉木茂左衛門
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杉木茂左衛門(すぎき もざえもん 寛永11年(1634年)? - 貞享3年(1686年))は、義民。上野国(群馬県)の農民。代表越訴型一揆の代表的存在である。磔茂左衛門(はりつけ もざえもん)とも呼ばれる。
[編集] 経歴
- 1662年、沼田藩主真田信利の悪政が始まる
- 1680年、大飢饉の発生により、経済状況がより悪化
- 1681年、沼田領77村の農民のために直訴を決意。大老酒井忠清を訪ねるが門前払いにあう。茂左衛門は知恵をめぐらし、輪王寺の紋箱に入れた訴状をわざと茶屋に置き忘れ、茶屋の主人に届けさせた。主人は将軍徳川綱吉に訴状を届け、沼田藩主真田信利は改易となった。
- 1686年、杉木茂左衛門は直訴の罪で妻子もろとも磔刑に処された。実は赦免の使者が出ていたのだが、使者が到着する前に刑が執行されてしまったと言われている。
- 村人は千日堂を建立し、杉木を祀った
- 明治期に駒形壮吉・野口復堂らにより杉木の存在がクローズアップされ、1926年には藤森成吉によって戯曲「磔茂左衛門」があらわされて人気が沸騰した
- 千日堂は杉木の死後、相当の期間が経過して忘れられていたが、1922年に再建され、1971年には再建された