村上公康
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村上公康(むらかみ きみやす、 1945年2月24日- )は、愛媛県出身。日本のプロ野球選手(捕手)である。右投右打。背番号は10(1966年~1971年)→28(1972年~1977年)。
[編集] 来歴・人物
愛媛県立西条高等学校時、第44回全国高等学校野球選手権大会に出場。のち立教大学を中退し、社会人野球の日本楽器を経て、1966年に第1次ドラフト14位で西鉄ライオンズに入団。入団2年目に衰えの見えた和田博実に替わって正捕手となる。
1970年、黒い霧事件で船田和英とともに半年間(シーズン終了まで)の野球活動停止処分。1972年、榎本喜八との交換トレードでロッテオリオンズに移籍。翌年醍醐猛夫に替わり正捕手となる。
1974年には正捕手としてチーム日本一に大きく貢献。同年ベストナイン・ダイヤモンドグラブ賞受賞。1977年、現役引退。実働11年928試合523安打。
その後は郷里・愛媛県に戻り、スポーツ用品店の代表取締役に就任。2005年3月27日、千葉ロッテマリーンズ開幕戦の始球式に74年当時の優勝メンバーとして登場した。
なお、漫画『アストロ球団』ではロッテオリオンズの7番・捕手として出場している。