村井純
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村井 純(むらい じゅん、1955年3月29日 - )は、日本の情報工学者。慶應義塾常任理事兼慶應義塾大学環境情報学部教授。JUNET設立者。WIDEプロジェクト代表。日本ネットワークインフォメーションセンター (JPNIC) 理事。慶應義塾大学理工学研究科博士課程修了。
父は教育学者、慶應義塾大学名誉教授の村井実。
日本におけるインターネット黎明期からインターネットの技術基盤作りそのほかにずっと関わり続けている。1995年の新語・流行語大賞に「インターネット」でトップテン入賞し、受賞した。日本のインターネットの父とされ、「ミスター・インターネット」と呼ばれることもある。英語圏では「インターネット・サムライ」のニックネームを持つ。
広域ネットワーク上で日本語を使えるようにすることにも尽力し、UNIXやC言語を国際化する動きと連携をとりながら、英語中心だった初期のインターネットを多言語対応へと導いた。
目次 |
[編集] 略歴と日本のインターネット
- 1955年、東京に生まれる。
- 1979年、慶應義塾大学工学部数理工学科を卒業、大学院へ
- 1984年、数理工学博士課程を修了、東京工業大学総合情報処理センター助手
- 同年、JUNETを設立。(東工大と慶応を接続)
- (1986年、アメリカのUSENETと接続)
- 1987年、工学博士号を取得
- 同年、東京大学大型計算機センター助手(この時、東大とJUNETを接続)
- 1988年、WIDE(Widely Integrated Distributed Environment)プロジェクトを発足させる。
- (1989年 アドレス調整委員会がIPアドレスの割り当てを開始)
- 1989年1月、専用線でのアメリカ(NSFNET)との接続を実現させる。
- 1990年、慶應義塾大学環境情報学部助教授、のちに教授となる。
- (1991年12月、JNIC(のちの日本ネットワークインフォメーションセンター:JPNIC)発足)
- (1992年、第1回インターネット協会 (ISOC) 総会を神戸で開催される。)
- (1992年、WIDEがNifty-Serve、PC-VANとの接続実験を開始。)
- 1993年、インターネットイニシアティブ(IIJ)特別技術顧問就任(現任)
- (1993年、IIJが日本初の商用インターネットサービスを開始)
- (1993年、WIDEがNifty-Serve、PC-VANと相互に電子メール送受を開始)
- 1997年、慶應義塾大学環境情報学部教授
- 同年、ソフトバンク(株) 社外取締役就任(現任)
- 1999-2005年、慶應義塾大学SFC研究所所長
- 2005年- 慶應義塾常任理事
[編集] 参考図書
- 自著
- 『インターネット』 (岩波新書) 岩波書店 ISBN 4004304164 1995年
- 『インターネットII~次世代への扉~』 (岩波新書)岩波書店 ISBN 4004305713 1998年
- 『インターネット「宣言」―急膨張する超モンスターネットワーク インターネットがよくわかる入門書』講談社 ISBN 406207480X 1995年
- 『インターネットの不思議、探検隊!』太郎次郎社エディタス ISBN 4811807510 2003年(絵本形式)
- 共著
- 『インターネット 法学案内―電脳フロンティアの道しるべ』(日本評論社、1998年)共著:インターネット弁護士協議会著
- 監訳
- ダニエル・C. リンチほか『インターネットシステムハンドブック』インプレス ISBN 4844347462 1996年
- 『IPv6:次世代インターネットプロトコル』プレンティスホール出版 ISBN 4887350104 1996年
- アレックス・ライトマン『アンワイアード 果てしなきインターネットの未来-4Gへのシナリオ』(インプレス、2005年)村井純監修
他。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- Jun Murai
- WIDE Project
- JPNIC:(社)日本ネットワークインフォメーションセンター
- ISOC:Inernet Society
- 総務省情報通信審議会地上デジタル放送推進に関する検討委員会
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