杜本神社
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杜本神社(もりもとじんじゃ)は、大阪府(旧河内国)にある神社である。式内社(名神大社)であるが、延喜式神名帳に記載される「河内国安宿郡 杜本神社二座」の論社は羽曳野市と柏原市にそれぞれ1社づつある。羽曳野市の杜本神社の方が有力な論社とされる。
どちらも祭神に経津主神が含まれている。一説には、崇神天皇の時代、経津主命の14世の孫の伊波別命(いわわきのみこと)が、祖神・経津主神の陵墓のある地に住み、経津主神を祀ったのが起源であるという。
延喜式神名帳に名神大社として記されるほか、延喜式で当社の祭礼が「杜本祭」として記載され、内蔵寮の幣使が参向していた。天正年間、織田信長の高屋城攻めの際、兵火によって社殿・社宝を失い、天正14年、豊臣秀吉に社領を没収され衰微した。
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[編集] 羽曳野市の杜本神社
杜本神社 | |
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所在地 | 大阪府羽曳野市駒ケ谷64 |
位置 | 北緯34度32分44秒 東経135度37分33秒 |
主祭神 | 経津主命 経津主姫命 |
社格等 | 式内社(名神大)・村社 |
本殿の様式 | 流造 |
例祭 | 10月8日 |
[編集] 祭神
経津主命と経津主姫命の夫婦神を祀るとしているが、『神社明細帳』では事代主命・経津主命、『河内国式神私考』では句々廼智命・氷谷坐彌豆波乃売神、『地名辞典』『神祇志料』『地理志料』では「当宗忌寸の祖神」としている。
[編集] 歴史
創建年代は不詳である。社伝によると、伊波別命に縁の一族が神社の祭祀を行い、平安時代には「矢作忌寸」を称したという。神仏習合時代に神宮寺の金剛輪寺が創建され、社僧により奉仕されたが、明治の神仏分離により金剛輪寺は廃寺となった。明治5年(1872年)に村社に列格し、明治41年(1908年)に神饌幣帛料供進社となった。
[編集] 施設
現在の社殿は江戸時代に高津宮から移築したものである。境内社として以下のものがある。
[編集] 柏原市の杜本神社
杜本神社 | |
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所在地 | 大阪府柏原市国分東條町 |
位置 | 北緯34度34分01.3秒 東経135度39分30秒 |
主祭神 | 経津主命 |
社格等 | 式内社(名神大)・無格社 |
例祭 | 10月16日 |
祭神は経津主命一座のみであり、『明治神社明細帳』では「祭神不詳」と記されている。
創立年代は不詳である。明治時代の社格は無格社であった。明治40年(1907年)12月25日、国分神社(柏原市国分市場1-6-35)に合祀され、その境内社となった。昭和47年(1972年)3月、旧地に社殿が再興された。国分神社内の境内社(森本神社)も現存している。
[編集] 外部リンク
- 杜本神社(羽曳野市)(延喜式神社の調査)
- 杜本神社(柏原市)(延喜式神社の調査)