東武7800系電車
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東武7800系電車(とうぶ7800けいでんしゃ)とは、1953年(昭和28年)に登場した東武鉄道の戦後初の独自設計通勤形電車。登場時は7330系を名乗った。
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[編集] 概要
終戦直後の混乱期に鉄道省から割り当てられた63系電車(7300系電車)により、20m級4扉車の使用を開始した東武は、7300系を基に独自の20m級4扉車を設計した。これが7800系であり、1953年から1961年にかけて164両が製造された。
主に東武本線(伊勢崎線・日光線)・東上線で幅広く使用された。セイジクリーム一色の塗色だった時代は、屋根が黒かったことなどから「カステラ電車」というあだ名が付けられていた。
のちに1979年から1985年にかけ、踏切事故で廃車になった2両を除く162両が、5000系列に更新された。
[編集] 分類
製造年度によって様々な変更が加えられた。下記の5グループに分類される。
- 7800形・800形:7800~7818・800~818
- 一番最初に製造された形式で、当初は7330・330形を名乗っていた。内装は木造、日除けは鎧戸であり、窓寸法は国鉄63系と同じとなっている。後に中間車化改造により4両固定編成も登場した。なお、花崎駅付近での踏切事故でモハ7808・クハ808の2両が大破し、修理不可能であったため廃車となった。
- 7890形・890形:7891~7894・891~894
- 当初は7850・850形を名乗っていた。この形式から室内の壁材が鋼製となり、窓寸法が若干変更された。長距離列車にも使用するため、トイレが設けられていたが、後に撤去された。一部の車両では7300系と台車交換が行われたが、5050系への更新に伴い元の台車に戻された。
- 7820形・820形:7821~7851・821~851
- 7800系ではもっとも多く、量産型ともいえる形式。後に中間車化改造により4両固定編成が登場した。
- 7860形・860形:7861~7868・861~868
- 1958年製でこのシリ-ズ唯一の日立製作所製。屋根は鋼板製で、当初は塗装試験車として2種類ずつの塗装が施されていた。このグループも後に中間車化改造により4両固定編成が登場した。
- モハ7865号車は花崎駅付近での踏切事故により破損した。事故復旧に際して、高運転台化・運転台側窓ガラスの小さいタイプ(3000系用)への変更・運転台後部の客室窓の廃止・2人掛け座席の撤去を行い、左右の窓の大きさが異なる7800系列唯一の異端車となった(後にモハ5259へ更新)。
- 7870形・870形:7870~7889・870~889
- 最終形ともいえるこの形式では、初めてアルミサッシ・広幅貫通路を採用した。また、7881~7889・7870はパンタグラフが連結面側に移された。
[編集] 5000系列への更新
7800系が製造されていた頃、他社では技術革新により全金属製の新性能車が登場していた。この形式の大元といえる国鉄73系(72系)でさえ、最終グループの車両(1957~1958年製)は全金属製だった。東武でも、特急用では1956年から1700系・1720系でカルダン駆動を採用していたにもかかわらず、7800系が長らく木製床張りの吊り掛け駆動車で製造されていたのは、通勤車は安定性を重視して新技術導入に慎重な東武の姿勢が反映されたものであるが、後に陳腐化に悩まされることになった。
1963年に7800系のモデルチェンジ車8000系が登場し、8000系が主力を占めるにつれて、木製床張り・片開きドア・冷房化が不可能な車体など、7300系・7800系の陳腐化が目立つようになった。社内には廃車して代替新造する案もあったが、時期尚早論も根強く、旧型化した車体の更新に主眼をおくことになったようである。一度更新を実施した7300系は廃車して代替に8000系を新製することになったが、7800系は8000系と同一の車体に更新することとなった。
旧型電車の3000系列への更新が終了した後、1979年から1985年にかけ、踏切事故で廃車になった2両以外の全ての車両が5000系列に更新され面目を一新した。
5000系列の詳細については別項を参照されたい。
[編集] 車体解体について
5000系列への更新により、不要となった7800系の車体は杉戸工場に隣接する経理部杉戸倉庫で解体された。当時はバーナーにより解体していた。なおここでは旧6000系の車体も解体されていたが、長編成のものはここでは収容できないため、北館林荷扱所に変更された。
また、7870形2両は保存を前提に保管された。このうち1両は10年近く倉庫の片隅(東武動物公園駅北側踏切付近)に雨ざらし状態でおかれていたが、結局解体された。