東武 (衆議院議員)
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東 武(あずま たけし 明治2年(1869年)4月 - 昭和14年(1939年)9月3日)は日本の政治家、出版事業家。従四位勲二等。所属政党は立憲政友会。別名、東牧堂(あずま ぼくどう)。
[編集] 経歴
奈良県十津川村に東義次の長男として生まれる。東家は旧郷士であった。郷校文武館(現在の奈良県立十津川高等学校)を経て東京法学院(現在の中央大学法学部)に在学中、1889年8月、故郷が大水害に遭ったため、十津川村の住民を指導して北海道新十津川村(現在の新十津川町)への移民事業に挺身。1891年、自らも北海道に移住して開拓事業を推進した。
北海タイムス社(現在の北海道新聞社)の経営者を経て北海道会議員に当選。1908年から衆議院議員を10期務めた。1927年、田中義一内閣で農林政務次官に就任。このほか、鉄道会議議員、農林省米穀局顧問、日本競馬会設立委員、立憲政友会総務、シベリア派遣軍慰問議員団長、日本新聞連盟理事長、北海タイムス社相談役などを歴任。1939年9月3日に病没。著書に『南山餘録』(民友社、1912年)がある。
「一国一城」の地方紙を率いて中央の新聞界でも幅を利かせたウルサ型の典型。電通通信部の同盟通信社吸収に反対した。