松尾城 (上総国)
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松尾城(まつおじょう)は、現在の千葉県山武市松尾町にあった城郭。別名「太田城」。城主の松尾藩主太田資美の旧領であった掛川城の別名に由来する。
[編集] 歴史
仮藩庁を置いていた武射郡柴山の地から、明治2年(1869年)6月の版籍奉還をうけて、藩知事に任命されたことにあわせて正式に移転するために同年9月より築城された。翌年11月に藩庁と知事邸が完成した。
藩校の教授であった磯辺泰の縄張りにより、函館五稜郭や、信濃国龍岡城などに見られる西洋風の稜堡式で、九十九里浜を望む木戸川東岸の台地上に築き、中央の最高地に藩庁を、土塁で区切った部分に太田家の家紋にちなんだ「桔梗台」と名付けた台地を造成し、藩知事邸を造り、長屋門を設置した。その他城内に兵舎や物産会所、米倉などを建設し、郭外には侍屋敷を町割りして土塁と堀で囲む計画となっていた。
しかしながら、未完成のうちに1874年(明治7年)の廃藩置県をうけて、松尾県庁を一時城内に置くものの、同年11月には木更津県に合併することとなり、築城は中止された。廃城後、建物や各所に払い下げられ移築された。現在も知事邸が八日市場市内に、長屋門は山武市内にそれぞれ現存している。
[編集] 現在
城跡敷地内は一部住宅地となり、1959年(昭和34年)に知事邸跡地に松尾町立(現・山武市立)松尾中学校が開校し、1970年(昭和45年)には千葉県立松尾高等学校が移転してきている。藩庁跡地は松尾自動車学校の敷地となっており、「松尾藩公庁跡」の碑が残る。1994年(平成6年)の中学校改築の際に発掘調査が行われ、城下の侍屋敷の遺構や、土塁跡が多く現存している。
松尾城は江戸時代後、版籍奉還後の築城という全国的にも非常に貴重な存在であり、藩庁と知事邸が分離するなど、他の城には見られない特異な形態を見せている。