松川事件
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松川事件(まつかわじけん)とは、鉄道のレール外しによる意図的な列車往来妨害事件である。
下山事件、三鷹事件と並び、戦後日本国有鉄道(国鉄)の三大ミステリーの一つといわれている。
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[編集] 概要
三鷹事件から1ヶ月後の1949年(昭和24年)8月17日午前3時9分(当時は占領中でサマータイムが導入されており、現在の午前2時9分)頃、福島県松川町(現在の福島市)を通過中だった東北本線上り列車(C51形蒸気機関車牽引)が、突如脱線転覆する事件が起こった。
犠牲者は、蒸気機関車の乗務員3人。現場は、東北本線松川駅-金谷川駅間のカーブ入り口地点であった。
検証の結果、転覆地点付近の線路継目部のボルト・ナットが緩められ、継ぎ目板が外されているのが確認された。さらにレールを枕木上に固定する犬釘も多数抜かれており、長さ25mのレール自体が、ほとんど真直ぐなまま13mも移動していた。
[編集] 冤罪
捜査当局は、この事件を当時の大量人員整理に反対していた、東芝労組、国鉄労働組合(国労)と日本共産党の謀議による犯行と断定。犯人と目した労働組合関係者達を次々に逮捕・起訴した。一審、二審では有罪となったが、裁判が進むにつれ被告らの無実が明らかになり、作家の広津和郎が中央公論で無罪論を展開。また宇野浩二・吉川英治・川端康成・志賀直哉・武者小路実篤・松本清張らの作家・知識人の支援運動が起こり、世論の関心も高まった。1959年最高裁で高裁差し戻し。検察の隠していた「諏訪メモ」(被告達のアリバイを証明する文書。記録者の名から)が明るみに出て謀議がそもそも成立しなかったことが判明し1963年全員無罪が確定した。
[編集] 映画
1961年(昭和36年)に同名の映画が、元被告赤間勝美の自白供述書、第一審、第二審の公判記録を元に作られ新藤兼人、山形雄策が共同で脚本を執筆、社会派の巨匠山本薩夫がメガホンを取った。
製作資金4500万円は全てカンパで集められた。出演は宇野重吉をはじめ西村晃、宇津井健、千田是也、名古屋章など名優が揃った。