松平喜徳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
松平喜徳(まつだいら のぶのり、安政2年(1855年)10月 - 明治24(1891年)6月)は、江戸時代の大名。陸奥国会津藩10代目当主、陸奥国守山藩9代当主。水戸藩主徳川斉昭の十九男。幼名余九麿。
第9代会津藩主・松平容保の養子となる。慶応4年(1868年)、鳥羽・伏見の戦い後に隠居した容保の後を継ぎ、会津藩主となった。戊辰戦争の敗北で家名断絶となったが、明治2年(1869年)に容保の長男・松平容大に家名存続が許され、陸奥国斗南藩3万石に移封された。
喜徳は会津藩との養子縁組を解消。明治6年(1873年)、実弟である水戸藩支藩守山藩主松平頼之(徳川斉昭の二十二男)が死去したため、その養子となって家督を相続した。
|
|
|