松平近明
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松平 近明(まつだいら ちかあきら、1702年9月3日(元禄15年8月12日) - 1755年5月31日(宝暦5年4月21日))は、出雲広瀬藩の第4代藩主。父は第2代藩主・松平近時(近明は四男)。母は側室・大竹氏。側室に千寿院。子に近輝、近哲、近貞、娘(渡辺信綱室)。官位は従五位下、肥前守、式部少輔、近江守。
元禄15年(1702年)8月12日、江戸にて生まれる。幼名は亀之助。享保13年(1728年)、兄の近朝が死去したため、その養子として家督を継いだ。享保17年(1732年)から大飢饉に見舞われたため、幕府から3000両を借りて何とか窮状を凌いだが、享保20年(1735年)にも飢饉に遭うなど、藩政は多難を極め、財政難が始まった。また、近明は生来から病弱で、入国したことがあるのは一回だけ、おまけに登城するときにも代理人を立てるなどの有様で、寛延2年(1749年)8月9日に家督を子の松平近輝に譲って隠居し、猪寛と号した。宝暦5年(1755年)4月21日、江戸にて死去した。享年54。法号は瑞雲院。
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