松平近朝
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松平 近朝(まつだいら ちかとも、1681年8月5日(延宝9年6月22日) - 1728年12月15日(享保13年11月15日))は、出雲広瀬藩の第3代藩主。父は第2代藩主・松平近時(近朝は長男)。母は松平綱隆の娘・清高院。子に長孝、輝(松平直員婚約者→丹羽氏栄室)。官位は従五位下、隼人正、飛騨守。
延宝9年(1681年)6月22日生まれ。幼名は大助、安五郎。元禄15年(1702年)、父の死去により家督を継ぐ。幕府に命じられて利根川・荒川などの普請で活躍した。しかし親藩の人物であるから、普通なら他の大大名から娘を正室としてもらうこともできるのに、なぜか近朝は高い身分の娘を嫌って、常に低身分の娘を妻とした。そして五男十二女と、多くの子女に恵まれた。享保13年(1728年)11月15日、江戸で死去。享年48。家督は弟の松平近明が継いだ。法号は円徳院。
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