梓官郷
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台湾省高雄県梓官郷 | |
地理 | |
位置 | 東経120°16" 北緯22°46" |
面積 | 11.5967km² |
人口 | |
戸口(2006年7月) | 11,412戸 |
人口(2006年7月) | 33,747人 |
政治 | |
行政区分 | 郷 |
郷長 | 蕭添財 |
地方自治機関 | 梓官郷民代表会 |
下部行政区画 | 15村286鄰 |
その他 | |
郵便番号 | 826 |
市外局番 | 07 |
郷花 | - |
郷鳥 | - |
郷木 | - |
別称 | 鳥榕 |
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梓官郷(しかん/ズーグヮンちん、ピンイン:Zĭguān)は、台湾高雄県に位置する郷である。
目次 |
[編集] 地理
梓官郷は高雄県西部沿海に位置し、北は彌陀郷と、東は橋頭郷と、東北は岡山鎮と、南は高雄市楠梓区とそれぞれ接し、西は台湾海峡に面している。沿海の平原地帯に位置し地勢は平坦である。熱帯モンスーン気候に属し年間平均気温は23~25℃、年間降水量は1,500mmである。
[編集] 歴史
梓官郷の地名の由来には2説ある。一つは鄭成功が台湾に移った後、福建省漳州富豪「王梓」率が率いて入植した王、鄭、蔡、欧、蘇姓の人々が「王梓」を「梓官」と尊称したことに由来するというものであり、別説では「梓」は「木匠」を意味し、昔この地に造船業が発達し、船大工を「官」と尊称したことと関連し、この地に船大工が多く集まっていたことから「梓官」と命名されたと言われている。 日本統治時代初期はこの地に「梓官区」が設けられたが、1910年に「彌陀庄」へと編入され、1920年の台湾地方改制の際に高雄州岡山郡の管轄となった。光復後は高雄県彌陀郷的の一部とされたが、1951年4月に高雄県梓官郷として分割され現在に至っている。
[編集] 経済
[編集] 行政区
[編集] 歴代鎮長
代 | 氏名 | 退任日 |
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[編集] 教育
区分 | 数 | 名称 |
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大学 | 0 | - |
技学 | 0 | - |
高中 | 0 | - |
高職 | - | - |
国中 | 2 | 高雄県立梓官国民中学 高雄県立蚵寮国民中学 |
国小 | 2 | 高雄県立梓官国民小学 高雄県立蚵寮国民小学 |
[編集] 交通
種別 | 路線名称 | その他 |
---|---|---|
省道 | 台17線 | |
省道 | 台19甲線 |
[編集] 観光
- 蚵仔寮漁港
- 紅樹林茄冬溪保護区
- 赤崁古厝
- 同安張家古厝
- 通安宮