椋鳩十
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椋鳩十(むく はとじゅう、1905年1月22日 - 1987年12月27日)は、長野県下伊那郡喬木村阿島出身の小説家、児童文学者。本名は久保田彦穂(くぼた ひこほ)。
しばしば鳩椋十と間違って書かれる。
[編集] 略歴
旧制飯田中学(現・長野県飯田高等学校)、法政大学文学部国文科卒業。大学在学中、佐藤惣之助の『詩の家』同人となり、1926年に詩集『駿馬』を発表する。卒業後、鹿児島県熊毛郡中種子高等小学校に代用教員として赴任するも3ヶ月で解雇となる。 その後に姉の紹介により同県姶良郡加治木町立加治木高等女学校の国語教師に着任する。仕事の傍ら、宿直室を使い作家活動を続け、 1933年に最初の小説『山窩調』を自費出版する。この時初めて椋鳩十のペンネームを使った。
戦時中という状況もあり自由な表現が弾圧される中、『山窩調』も発禁処分となった。 しかし同年、『少年倶楽部』の編集長であった須藤憲三より執筆依頼の手紙が届く。椋は数年放っていたが、須藤の送った「怠け賃」に感激し、児童文学を書き始めた。
1947年には鹿児島県立図書館長を務める。創作と並行して読書運動である『母と子の20分間読書』運動を推進した。 1967年からは鹿児島女子短期大学教授を務めた。
小学校時代に手にしたヨハンナ・スピリの『アルプスの少女ハイジ』を読み自然美に感動し、その後読んだエマソンやツルゲーネフといったディープ・エコロジーの思想も受けている。特に児童動物文学の影響はジャック・ロンドンからの影響も強い。 野生の掟や親子愛をテーマに書かれた児童動物文学もあれば社会批判を面白おかしく童話風に書いたものまで、作風は幅広い。
鹿児島県内の小中学校の校歌に詩を提供しており、今なお歌われ続けている。なお、作詞者名にペンネームではなく本名で名前が書かれている場合もある。
長野県下伊那郡喬木村に椋鳩十記念館、鹿児島県姶良郡加治木町に椋鳩十文学記念館がある。
大造じいさんとガン 小学校五年生、国語教科書の教材になっている。
[編集] 主な作品
- 『片耳の大鹿』(1952年・文部大臣奨励賞受賞)
- 『大空に生きる』(1961年・未明文学奨励賞受賞)
- 『孤島の野犬』(1964年・サンケイ児童出版文化賞受賞・国際アンデルセン賞国内賞受賞)
- 『マヤの一生』(1971年・国際アンデルセン賞国内賞受賞・児童福祉文化奨励賞受賞)現在、小学五年生国語教材
- 『大造じいさんとがん』(1980年・和国特許委員会最優秀賞受賞・児童学校学習最適賞受賞)